2017年03月19日
井伊直虎ゆかりの地ー34 人質交換
永禄4年(1561)直親と、シノの間に待望の男子が「虎松」が生まれる、後の直政である。今川家は桶狭間の戦いで当主が討死し混乱し尾張、三河の諸将は今川方から離反が相次ぐ。大高、鳴海、沓掛、地鯉鮒城(知立)の各城は明渡し退却して行った。松平元康(家康)は空になっていた岡崎城に入る。暫く今川の様子を見届けるが人質から独立し松平家の勢力拡大の好機と今川家から離反し織田信長に協力する。牛久保城を攻め、さらに今川家親臣・鵜殿長照の上ノ郷城(蒲郡市)を攻めるが落ちない、忍びを使い城に火を付け落城させる、長照は自刃。子の氏長、氏次を捕虜にする。
地元の伝承では鵜殿長照は乱戦に紛れて城を脱出し清田町の安楽寺横の坂で判資定に討たれたという、この坂を鵜殿坂と言い、坂で転倒し怪我をすると一生治らないという伝説があるという。
国指定、清田町の大クス

松平元康が今川家に叛いたことから駿府の人質、元康の妻・瀬名と子供2人竹千代、亀姫は斬首になる事になった。
松平家から人質交換の申し入れがあった。
鵜殿氏長兄弟の祖父の妻は今川義元の妹であったことから親族であり三河の今川衆が離反する中、今川家に最後まで忠誠しての落城を評し人質交換に応じることになった。
今川方に戻った鵜殿氏は二俣城の松井氏にいたが武田軍と徳川軍に攻められた今川氏滅亡する。鵜殿氏は徳川氏に投降し家臣に取り立てられ旗本になったという。
上ノ郷城跡 (愛知県蒲郡市)
つづく
地元の伝承では鵜殿長照は乱戦に紛れて城を脱出し清田町の安楽寺横の坂で判資定に討たれたという、この坂を鵜殿坂と言い、坂で転倒し怪我をすると一生治らないという伝説があるという。
国指定、清田町の大クス
松平元康が今川家に叛いたことから駿府の人質、元康の妻・瀬名と子供2人竹千代、亀姫は斬首になる事になった。
松平家から人質交換の申し入れがあった。
鵜殿氏長兄弟の祖父の妻は今川義元の妹であったことから親族であり三河の今川衆が離反する中、今川家に最後まで忠誠しての落城を評し人質交換に応じることになった。
今川方に戻った鵜殿氏は二俣城の松井氏にいたが武田軍と徳川軍に攻められた今川氏滅亡する。鵜殿氏は徳川氏に投降し家臣に取り立てられ旗本になったという。
上ノ郷城跡 (愛知県蒲郡市)
つづく


