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2016年12月14日

井伊家ゆかりの地 今日は直政(虎松)父親・直親の命日

 永禄5年(1562)12月14日、今川氏真から呼び出しがあり井伊家23代当主・直親(いいなおちか)は掛川城下の東海道沿いを通ると今川配下、朝比奈泰朝の数百兵に襲われ落命したのが454年前の今日である。法要があると聞き浜松市細江町中川の都田川堤の直親公墓所を訪れた。
  直親は幼名亀之丞と言い父親・直満が今川義元に切り殺され亀之丞も命を狙われ信州松源寺に逃れた。井伊直虎は許婚であった。

 法要は井伊家菩提寺・龍潭寺さんの都合で朝8時から関係者近隣の方約30人が集まり直親公の墓前にお参りした。




徳川幕府大老になった、井伊家36代直弼(なおすけ)は嘉永4年(1851)直親公の眠る都田川河畔墓石に参じた。燈籠一対を寄進した。昭和49年(1974)7月7日、七夕豪雨に都田川は氾濫し燈籠は流失した。近隣住民が河川を探し宝珠と火袋は見つけた。

 河岸改修工事により今の所へ移転した。
 

 
 直親の徒者は19~20数名と云われるが多勢による攻めに命を落としたが訃報を知った祝田郷蜂前(はちさき)神社神主・荻原家は二男を掛川へ行かせ隙を見て直親公の御首を持ち帰り大藤寺前の都田川河原にて火葬し同所にて龍泰寺(龍潭寺)の南渓和尚が読経焼香し埋葬した。
 戒名 大藤寺殿剣峯宗恵大居士
 の法号を授かった。
 大藤寺は延文元年(1356)創建されたが昭和43年(1968)7月、龍潭寺に併合された。

 直親公の墓は当所の他に
 龍潭寺、東光院 渋川にある

直親公墓所




 山下隆三郎氏説明文から抜粋
  


Posted by エル at 19:07
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