QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 38人
プロフィール
エル
エル
生まれ育った地域のこと、訪ねて聴いて写真に撮って・・・
歴史 伝説 その他

2018年04月17日

古文書文字は難しいのう

歴史伝説を追うと古文書と出合うのですが何が書いてあるのかよう解りません。
 石に刻まれた楷書でも
古文書文字は難しいのう
 読める文字もありますが漢詩 風化によって・・・・前後文字から勢いで読むそうですが・・・
 下記の古文書になると・・・・
古文書文字は難しいのう
 前後文字の勢いでは・・・・・よめません。
 日本には文字はなかったといいます。
 中国から漢字が伝わり、鎌倉時代、青蓮院の尊円法親王(永仁6年1298年~正平11年1356年)が御家流(おいえりゅう)を考えた。
 書法を作りだし今の文字文章の元になったと云います。
 
日本人が漢字を見たのは遺跡から中国貨幣が出土したことから紀元後?辺りか
当時は貨幣の文字を見ても文字とは知らず模様と思ったでしょうね。
漢字を文字として理解し始めたのは邪馬台国時代に中国と交流しだし文字が必要になり漢字を理解して文章を書きだしたようです。
 紀元三世紀ごろと考えられると、小社刊、小林芳規著「図説日本の漢字」にあります。
 万葉仮名 
漢字は難しいので簡略かして書いたのが「ひらがな」 
 安=あ 以=い 宇=う 衣=え 於=お
漢字の一部を取って書いたのが「カタカナ」
阿=ア 伊=イ 宇=ウ 江=エ 於=オ
 簡単に文章が書けるようになって紫式部、清少納言が女性にも読める作品を書き大衆に伝わったのですね。
 
 時代とともに文字も変化して新しく簡略化漢字になっています。

江戸時代になると幕府の命令は文書で伝えます。
村々へ廻状で伝達しますから廻状を「写し書き」して残す事から日本人の読み書き識字率は凄く高かったと云います。
 古い書物が最も残っている国だとも云います。
 
 本元の中国漢字を使用しています、中国が「使用料を払え!」と言い出したらどうしましょうか。


 12℃ → 16℃ 雲りam11時ごろから小雨


同じカテゴリー(歴史)の記事画像
長篠合戦、三部まつり
旧交をあたためる
怪奇現象
松岡氏は何処に・・・
花祭りの歌
案内・腹切り畑
同じカテゴリー(歴史)の記事
 長篠合戦、三部まつり (2024-04-23 10:34)
 旧交をあたためる (2024-03-30 17:31)
 怪奇現象 (2024-03-18 14:58)
 松岡氏は何処に・・・ (2024-03-04 09:10)
 花祭りの歌 (2024-02-21 09:00)
 案内・腹切り畑 (2024-02-20 09:00)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。