2012年05月04日
実録 伊那街道 54
伊那街道 長野県根羽村~豊川市小坂井町
新城市ー18 野田→豊島 約1.4㎞
野田交差点を南西へ

野田の街 路の中央に用水が流してあったという

案内板

野田西交差点

野田交差点を過ぎ直ぐ左下へ伊那街道は行く


下った所 右上に道らしい跡があります


野田西交差点からや約400m、左に大野田公民館がある

公民館の東に石仏が多く祀られている

怨新招魂碑は野田城の戦いの死者墓が放置されていたので明治34年に石碑を建て春の彼岸とお盆に祭りをしているという

秋葉様は安永5年(1776年) 地蔵様は永正時代(1504‐1521)

常夜燈は享保16年(1731年) 行者様は昭和6年行者講の有志が祀ったそうです

伊那街道に戻り歩くと右に千郷神社鳥居があり左に石仏が階段に祀られています


石仏について近くの方に伺うと「なんの石仏か分からない、近くに瓦やさんがあって管理していたらしい、そこで製造した物も有るかも?今の土地所有者は何もしていない、見た事もない」という
正面に野田城祉のある上の山が見える

ここから野田城へ上る




ここから信玄を撃った所

城内の井戸




案内板


伊那街道側には案内板がないようです。
新城市ー18 野田→豊島 約1.4㎞
野田交差点を南西へ
野田の街 路の中央に用水が流してあったという
案内板
野田西交差点
野田交差点を過ぎ直ぐ左下へ伊那街道は行く
下った所 右上に道らしい跡があります
野田西交差点からや約400m、左に大野田公民館がある
公民館の東に石仏が多く祀られている
怨新招魂碑は野田城の戦いの死者墓が放置されていたので明治34年に石碑を建て春の彼岸とお盆に祭りをしているという
秋葉様は安永5年(1776年) 地蔵様は永正時代(1504‐1521)
常夜燈は享保16年(1731年) 行者様は昭和6年行者講の有志が祀ったそうです
伊那街道に戻り歩くと右に千郷神社鳥居があり左に石仏が階段に祀られています
石仏について近くの方に伺うと「なんの石仏か分からない、近くに瓦やさんがあって管理していたらしい、そこで製造した物も有るかも?今の土地所有者は何もしていない、見た事もない」という
正面に野田城祉のある上の山が見える
ここから野田城へ上る
ここから信玄を撃った所
城内の井戸
案内板
伊那街道側には案内板がないようです。