2013年05月30日
蚕(かいこ)さまー2
蚕は中国、東南アジアから渡来したクワコと言われ桑に生息していた「クワイコ」と呼んだとか定かでありません。
また、神話に神がカイコを生み神蚕、カミコからカイコ、蚕になった、といろいろな説があります。
桑の木


桑の葉
養蚕は弥生時代には行われていたと思われています。
日本には2500年前に中国から伝えられた説もあります。
日本では古事記に書かれカイコは「お蚕さま」と様付で呼ばれ貴重に扱われています、牛馬同様に一匹を一頭二頭と数えています。

桑枝ごと切り葉を収獲した跡、新枝が育ちます。
桑の木が育ちすぎると葉の収穫が困難になるためです。
一つの繭から約1.4㎞の糸が獲れ数本合わせて一本の絹にする

絹といえばsilk・シルク、シルクロード
中国とローマ、ペルシャ道を交易道として商人が使用していたがドイツ地理学者「リヒトホーフェン」が著書で絹の道・シルクロードと書いたとか、その後スェーデン考古学者が英語でsilkloadと著書に書いた事から一般的にシルクロードと言われるようになった。交易道ですから一本ではなく商人が荷物運搬に通った道は全てシルクロードなのでしょうね。
つづく
また、神話に神がカイコを生み神蚕、カミコからカイコ、蚕になった、といろいろな説があります。
桑の木
桑の葉
養蚕は弥生時代には行われていたと思われています。
日本には2500年前に中国から伝えられた説もあります。
日本では古事記に書かれカイコは「お蚕さま」と様付で呼ばれ貴重に扱われています、牛馬同様に一匹を一頭二頭と数えています。
桑枝ごと切り葉を収獲した跡、新枝が育ちます。
桑の木が育ちすぎると葉の収穫が困難になるためです。
一つの繭から約1.4㎞の糸が獲れ数本合わせて一本の絹にする
絹といえばsilk・シルク、シルクロード
中国とローマ、ペルシャ道を交易道として商人が使用していたがドイツ地理学者「リヒトホーフェン」が著書で絹の道・シルクロードと書いたとか、その後スェーデン考古学者が英語でsilkloadと著書に書いた事から一般的にシルクロードと言われるようになった。交易道ですから一本ではなく商人が荷物運搬に通った道は全てシルクロードなのでしょうね。
つづく