2010年11月21日
火縄銃
先日 JA文化講座「鉄砲入門」のお話を伺いました
新城市設楽原歴史資料館の日本銃砲史学会会員でもある 湯浅大司先生の講演でした

火縄銃の歴史から 火縄銃構造 火縄銃の撃ち方 火縄銃のいろいろ等
興味ある話に感動しました 天正3年(1575年)5月21日、旧暦ですから現在、平成23年は6月22日になります 梅雨時です 3,000丁の火縄銃の3段撃ち「設楽原の戦い」で威力を見せつけた火縄銃 戦い方を変えた戦具でした 当日、雨でしたら戦いの行方はどうなったでしょう?
設楽原歴史資料館 新城市竹広


火薬が日本で使われた記録は平安時代、承安2年(1172)「伊豆の島に見慣れぬ者が船で来て脇から火を出し畑や辺りを焼き逃げた」 文永11年(1274)元軍が博多湾で火薬玉に火をつけ投石機では発射 初めての火薬にビックリした事でしょう 種子島での造り方の苦労 筒底の止め方はネジの造り方を知らない為大変だったようです
新城市設楽原歴史資料館
新城市設楽原歴史資料館の日本銃砲史学会会員でもある 湯浅大司先生の講演でした
火縄銃の歴史から 火縄銃構造 火縄銃の撃ち方 火縄銃のいろいろ等
興味ある話に感動しました 天正3年(1575年)5月21日、旧暦ですから現在、平成23年は6月22日になります 梅雨時です 3,000丁の火縄銃の3段撃ち「設楽原の戦い」で威力を見せつけた火縄銃 戦い方を変えた戦具でした 当日、雨でしたら戦いの行方はどうなったでしょう?
設楽原歴史資料館 新城市竹広


火薬が日本で使われた記録は平安時代、承安2年(1172)「伊豆の島に見慣れぬ者が船で来て脇から火を出し畑や辺りを焼き逃げた」 文永11年(1274)元軍が博多湾で火薬玉に火をつけ投石機では発射 初めての火薬にビックリした事でしょう 種子島での造り方の苦労 筒底の止め方はネジの造り方を知らない為大変だったようです
新城市設楽原歴史資料館