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歴史 伝説 その他

2014年06月10日

長篠設楽原の戦い・見聞録 73

 松平主殿助伊忠(まつだいらとのものすけこれただ)の戦死の地
 戦死石柱
長篠設楽原の戦い・見聞録 73

 織田徳川連合軍の徳川方酒井砦奇襲隊に属していた深溝(ふこうず)城主・伊忠は砦を落し敗走する武田軍が大川(豊川)を渡るのを見て追走した。
長篠設楽原の戦い・見聞録 73
 国道151号有海交差点から257号を北へ行く,この先に澤があり難所だったようですが今は直に行けます。

 敗走する兵を追撃する内に味方兵は付いて来れず少数になる処を武田の小山田備中守昌行が兵300をまとめ返してきた。
長篠設楽原の戦い・見聞録 73
 奥法面に石柱はある

 伊忠ら必死に戦うが包囲され従兵ともに討ち死した、伊忠39才だった。また、追撃する伊忠兵を退却中の小山田勢700が後ろから襲ったともいう。連合軍の城主で討ち死にしたのは伊忠一人であったという。
 戦死地について諸説ある、有海村、社宮司風呂(しゃごじほろ)、大海の元堂墓地、大海黒松峠など。松平伊忠埋葬地は判っていない。

 子孫は江戸時代になると移封を繰り返すが島原藩6万5千石にて明治維新を迎え子爵になった。

乗本の砦奇襲、
長篠設楽原の戦い・見聞録 73
 青色が伊忠

 伊忠追撃路 想定です
長篠設楽原の戦い・見聞録 73

小山田備中守昌行は無事帰郷したが天正10年3月(1582)高遠城(城主仁科)にて織田軍に攻められ戦死した。

 つづく
 伊忠戦死地







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Posted by エル at 16:50
Comments(2)歴史伝説
この記事へのコメント
はじめまして。
ナツです。
詳しく調べられていて、いつも感心しながら拝見させていただいています。
自分はブログを個人で始めてまだ2か月。
歴史の内容も中途半端。
エルさんのブログを紹介することでごまかそうと、悪い思いつきで、勝手に紹介させていただいています。
お許しください。
今後ともよろしくお願いします。
Posted by ナツナツ at 2014年06月10日 18:33
ナツ さん
ブログ見て頂きありがとうございます。
自分が知らない事を勉強のつもりで書いています。
こんなブログでよろしければどんどん使って下さい。地域の事を多くの方に知って頂く事が大切だと思います。
あっちこっちと、うろうろしていますから何処かですれ違いしているかも分かりませんね。
「たぬきおやじ」さんにも数回お会いしています。
こちらこそ宜しくお願いいたします。
Posted by エルエル at 2014年06月10日 21:27
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