2016年11月15日
伊那街道を歩く 知生峠強盗殺人事件
飯田市を訪れ、もう一つ調べねばならない事、殺人事件のことだ。
弘化4年(1847)7月4日三州設楽郡田口十ヵ村内向林村知生峠にて飯田の商人・小西屋銀兵衛倅丈兵衛と荷物持ち人が3人組に襲われ丈兵衛は死亡、荷持持人は逃げ助かったという。今から170余年前のことであるから何かあるだろう、小西屋さん、仕切書き(伝票)に・飯田吉岡屋覚左衛門宛の名があったとある。
麹屋さんに伺うと分からないようでしたが市役所で伺った「歴史研究所」へ。その前に昼時間になったのでつけ麺そば屋さんによる。
歴史研究所に伺うと、市役所の受付から問合せがあり私の凡その事を察していたようで当時の事が書かれた古文書を見せて頂く。
仲ノ町熊谷家、耳目集より 弘化四年 出来事を記したもの

拡大すると

伝馬町壱丁目銀兵衛倅定(丈)兵衛・・で始まり参州へ罷り越田口郷内向林村知正(生)峠通懸り7月〇〇時所・・・・
仲ノ町の熊谷家はどのような立場の方かは不明であるが、当時の事を聞いて覚え書きとして綴ったものと思う。
役所の文章ならば「地生峠」は「知正峠」「丈兵衛」は「定兵衛」と書かないだろう。
この事件の地元の設楽町誌には

事件処理に村人は大変な苦労と江戸評定所まで呼び出され多出費だった。飯田からも親族や役人が掛け付けて事件処理に当っている事から飯田藩にも書類は残っているか、大火災で町大半が焼失したという。
小西屋と吉岡屋は今でも営業しているでしょうか
弘化4年(1847)7月4日三州設楽郡田口十ヵ村内向林村知生峠にて飯田の商人・小西屋銀兵衛倅丈兵衛と荷物持ち人が3人組に襲われ丈兵衛は死亡、荷持持人は逃げ助かったという。今から170余年前のことであるから何かあるだろう、小西屋さん、仕切書き(伝票)に・飯田吉岡屋覚左衛門宛の名があったとある。
麹屋さんに伺うと分からないようでしたが市役所で伺った「歴史研究所」へ。その前に昼時間になったのでつけ麺そば屋さんによる。
歴史研究所に伺うと、市役所の受付から問合せがあり私の凡その事を察していたようで当時の事が書かれた古文書を見せて頂く。
仲ノ町熊谷家、耳目集より 弘化四年 出来事を記したもの
拡大すると
伝馬町壱丁目銀兵衛倅定(丈)兵衛・・で始まり参州へ罷り越田口郷内向林村知正(生)峠通懸り7月〇〇時所・・・・
仲ノ町の熊谷家はどのような立場の方かは不明であるが、当時の事を聞いて覚え書きとして綴ったものと思う。
役所の文章ならば「地生峠」は「知正峠」「丈兵衛」は「定兵衛」と書かないだろう。
この事件の地元の設楽町誌には
事件処理に村人は大変な苦労と江戸評定所まで呼び出され多出費だった。飯田からも親族や役人が掛け付けて事件処理に当っている事から飯田藩にも書類は残っているか、大火災で町大半が焼失したという。
小西屋と吉岡屋は今でも営業しているでしょうか