2018年09月15日
大敗した武田勝頼が帰路、立ち寄った城
足助から国道153号線を北上、伊勢神トンネルを過ぎ豊田市武節町の武節城祉を探索する。
道の駅「どんぐりの里いなぶ」から見る城跡

永正年間に田峯菅沼定信が築城したと云われる。
国道脇から登ると右に無文老師の墓とある

勝頼はこの道の奥から来て城内に入ったと云う。
三河信州美濃と国境を接していることから今川武田徳川の諸氏の勢力争いに巻込まれ主従を変えている。
徳川氏の配下になると奥平氏が城主になる。
徳川氏が関東へ移封になると関東へ同行し武節城は廃城になる。
左折れ登ると空堀

天正3年(1575)5月21日長篠設楽原の戦いで大敗し武田勝頼は帰路途中の田峯城主・菅沼定忠氏の田峯城に入ろうとしたが留守居役が門を閉ざし入れず菅沼定忠と僅かな家臣と共に山中を武節城をめざした。
おそらく22日早朝に武節城に着いたと思われる。
広場に出る 本丸跡

honnmaru
本丸の上は物見台、狼煙台とある、今は神社
家康の長男信康(14歳)が初陣に武節城攻めた。
勝頼甲州帰路、田峯城址から~武節城まで山中足取り、直線で約18kmはある、調べて分かるでしょうか?
無文老師
山田無文(むもん)武節村生まれ
臨済宗妙心寺派僧侶

21℃ → 24℃ 曇り時々雨パラパラ 雨量 約20mm
道の駅「どんぐりの里いなぶ」から見る城跡
永正年間に田峯菅沼定信が築城したと云われる。
国道脇から登ると右に無文老師の墓とある
勝頼はこの道の奥から来て城内に入ったと云う。
三河信州美濃と国境を接していることから今川武田徳川の諸氏の勢力争いに巻込まれ主従を変えている。
徳川氏の配下になると奥平氏が城主になる。
徳川氏が関東へ移封になると関東へ同行し武節城は廃城になる。
左折れ登ると空堀
天正3年(1575)5月21日長篠設楽原の戦いで大敗し武田勝頼は帰路途中の田峯城主・菅沼定忠氏の田峯城に入ろうとしたが留守居役が門を閉ざし入れず菅沼定忠と僅かな家臣と共に山中を武節城をめざした。
おそらく22日早朝に武節城に着いたと思われる。
広場に出る 本丸跡
honnmaru
本丸の上は物見台、狼煙台とある、今は神社
家康の長男信康(14歳)が初陣に武節城攻めた。
勝頼甲州帰路、田峯城址から~武節城まで山中足取り、直線で約18kmはある、調べて分かるでしょうか?
無文老師
山田無文(むもん)武節村生まれ
臨済宗妙心寺派僧侶
21℃ → 24℃ 曇り時々雨パラパラ 雨量 約20mm