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2024年12月11日

持仏長者を尋ねて

 新城市副川地区、持仏長者なる者は?
道路脇の民家に飛込伺うと知らないという。「字持仏前」の住所だから何か知る人がいてもと道路上の家を尋ねると「ここで一番古い家と言いながら態態(わざわざ)戸口まで案内して頂く。
 持仏長者の屋敷は?と切り出すと「家の裏です、と案内して頂く。
<屋敷跡、綺麗だ、井戸もある>
持仏長者を尋ねて
屋舗北山手にお寺が約90年前にはあった聞く、名前は忘れたという>桃渓庵か小林寺か?
高い所に寺が在り少し離れた所に寺墓がある。
粗末な五輪塔は百姓が祀った落武者の墓か?
持仏長者を尋ねて
 前方の林内にお寺があったという
持仏長者を尋ねて

長者は小林家といって言いのか、分家の末裔か。
一族の繁栄を願う仏像絵画彫刻像などを先祖供養、お堂を屋敷内に建てて祀った。
自力で仏像を持ち祀る事は財力ないと出来ませんね。
長者宅は火災で焼失したと云います。
信州から来た飯田市の小林城の武士だった、また近江源氏の出で織田家の家臣だったが武者修行中に双瀬に留まったとも云う。

そうそう、戦国時代までの伊那街道はここの上を通っていたと云う。
この事が伊那街道探索時の疑問(2015年ごろの)に繋がる。




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Posted by エル at 12:12
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