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2012年02月11日

消える郷を行く 1-24

 設楽町八橋向島(向林)です。

 風越林道から西を見る
消える郷を行く 1-24
 この奥に郷倉があったと聞きました。 飢饉の時の為に穀物を貯蔵した郷の倉庫です。清崎に現存しています。
消える郷を行く 1-24

消える郷を行く 1-24
 
 諏訪神社が有りました。
消える郷を行く 1-24
 昭和24.25年に田枯の八幡神社.向林の諏訪神社.永江沢のこぶ様が合祀し八橋神社を現位置に建てた。
 八幡社は応神天皇.諏訪神社は素盞鳴尊.こぶ様は生神様では、という。
 神殿は諏訪神社から、この神殿は明治41、42年頃に根羽村月瀬にあった神社神殿を受け馬車で運んだ。
 この年の祭典は盛大に行なわれ婦人会バザー純益8323円あったと婦人会日誌に。

 今の宝珠寺です。
消える郷を行く 1-24
 今は小規模建物ですが、元は度々仮校舎になっていました。
 明治33年6月15日午前4時ごろ、永江沢にあった校舎全焼。
 当時の僧、直留伴明殿に願う。今は無人。
消える郷を行く 1-24
消える郷を行く 1-24 
消える郷を行く 1-24
消える郷を行く 1-24
消える郷を行く 1-24
 昭和18年、新校舎を今の所へ建設時にも公民館、八幡神社と共に仮校舎に。
 戦争激しくなり卒業式は「仰げば尊し」は中止、「花かおる」になったと聞きました。

 つづく

 宝珠寺

  
 





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Posted by エル at 22:51
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