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2013年02月19日

土と成るから・・・

 1月のJA東愛知「JA文化講座」を受講しました。
 「城」の話を 加藤博俊氏(設楽町文化保護審議会委員)から本職の城跡測量から多義にわたる語りでした。
土と成るから・・・
 
 縄文~弥生時代に稲作により定住生活になり財産を護るために生垣のような物から共同生活集団になると村全体を野獣他の集団から防ぐ溝・掘・土塁で囲む。
 主権争いから地域全体を護る谷河川を利用し山稜山岳に石垣土塁をめぐらした古代城(朝鮮式山城・帰化人が造る)ができる。
 農耕支配の荘園制度から館を囲む河川水掘・土塁で囲む
 14世紀になると荘園制度の矛盾から「悪党」と言われる集団グループが略奪横領し山に立て籠もりゲリラ戦になり山城が強固になる。

 山城があった山頂 岩古屋山(設楽町・戦国時代)
土と成るから・・・
 武田軍に攻められ落城

 応仁の乱により荘園守護にかわり、在地有力者が支配体制を強め、その所領軍役を務める。領地をめぐる争い、戦国時代になり軍役をしていた武士が力を付け支配するようになり山城はさらに強固になる。
 兵農分離、城主の居場所・家臣集落を平地に構え大集団群を形成し城も平地に築くようになる。一乗谷・安土・小田原等の城です。
 
 戦国から安定した徳川の時代になると大名の象徴・権力を表す今の城へとなり、一国一城になり数千あった城郭は約200城になり、明治になると城郭と要害が廃城になり現存天守閣は12城と言う。

 維持管理が出来ず入札による取り壊されたり先の大戦で焼失もあった。

 城 という文字は、土と成るです、土を盛り土塁、土を堀り掘にする事から、やがて大きな城郭になった事でしょう。








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Posted by エル at 21:51
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