2013年04月22日
被災地 平薄磯地区は
被災地を訪れてー7
いわき市平薄磯地区の海辺に鎮魂台がありました

砂浜が続き海水浴場です
陸側は家屋があったが数軒残っているのみ

散歩中の60代の方がこの地区に約300軒あった、今19軒残っていが住める状態ではない。
地震の後に急ぎ逃げたが家に物を取りに帰り120人が津波にのまれた、まだ10人が不明だ。
津波は二方向から海岸に押し寄せた、倒壊しない家屋もあるが地形や波同士の力関係からか、不思議な事もあった。

豊岡中学校校舎は使えない、今は瓦礫・復興資材置き場になり近くの小学校で授業している。
学んでいない校舎の壁に「バレーボール大会出場」の垂幕がありました

流失家屋跡地に20数匹の可愛い鯉のぼりが泳いでいました

津波の威力 何も残っていません、民家のない道路を路線バスが通ってる風景は何か不思議でした

散歩中の方は、皆で歩いていたが「今は一人」と寂しいそう、新築四か月で震災、辛うじて津波は免れたが地盤が傾いている、建て替えないと、地震保険は加入していなかったと言う
架設住宅へ入居された方も慣れない土地できっと同じ事を想っているでしょう。
地元のテレビは毎日放射線量を

放送しています、何時までつづくことでしょう。
いわき市平薄磯地区の海辺に鎮魂台がありました
砂浜が続き海水浴場です
陸側は家屋があったが数軒残っているのみ
散歩中の60代の方がこの地区に約300軒あった、今19軒残っていが住める状態ではない。
地震の後に急ぎ逃げたが家に物を取りに帰り120人が津波にのまれた、まだ10人が不明だ。
津波は二方向から海岸に押し寄せた、倒壊しない家屋もあるが地形や波同士の力関係からか、不思議な事もあった。
豊岡中学校校舎は使えない、今は瓦礫・復興資材置き場になり近くの小学校で授業している。
学んでいない校舎の壁に「バレーボール大会出場」の垂幕がありました
流失家屋跡地に20数匹の可愛い鯉のぼりが泳いでいました
津波の威力 何も残っていません、民家のない道路を路線バスが通ってる風景は何か不思議でした
散歩中の方は、皆で歩いていたが「今は一人」と寂しいそう、新築四か月で震災、辛うじて津波は免れたが地盤が傾いている、建て替えないと、地震保険は加入していなかったと言う
架設住宅へ入居された方も慣れない土地できっと同じ事を想っているでしょう。
地元のテレビは毎日放射線量を
放送しています、何時までつづくことでしょう。