2014年02月17日
長篠設楽原の戦い・見聞録 4
久間山砦です。
宇連川、豊川左岸に沿い乗本地区集落があるが下流、民家が途切れた左岸上部に砦はある。
武田軍
和気善兵衛宗が主将となり・大戸民部直光・倉賀野淡路守秀景・原備前守胤成の各将 計300兵
野州浪人組 300余人をもって前備え後備えに分かれ陣を守っていた。
県道69号線、右上約34m急岩盤を登った辺りに砦があるようだ。

今は県道(別所街道)が通っていますが当時は豊川まで岩壁が張り出していたと思われる。
脇に小さな案内杭がある林道を

登ると小さな沢の所に案内板がある

道はない、樹木の間をかき分け登り、獣道を河川方向に歩くと県道の上に平らな所に出る。

よく観察すると土塁のように盛り上がって見えるが?
更に東上、約10㍍登ると久間山砦の石碑があった。

砦の南は稜線になり天神山につづいている。
木々の間から約400㍍先の新東名工事橋が見える。

砦は長篠城址、対岸の篠場野、有海、大海、川路など付近一帯を視回せる。
乗本、宇連川牛淵など鳥居強右衛門が脱出した度合、長走りは眼下にみえる。
今は樹木に覆われて見ることはできない。
つづく
宇連川、豊川左岸に沿い乗本地区集落があるが下流、民家が途切れた左岸上部に砦はある。
武田軍
和気善兵衛宗が主将となり・大戸民部直光・倉賀野淡路守秀景・原備前守胤成の各将 計300兵
野州浪人組 300余人をもって前備え後備えに分かれ陣を守っていた。
県道69号線、右上約34m急岩盤を登った辺りに砦があるようだ。
今は県道(別所街道)が通っていますが当時は豊川まで岩壁が張り出していたと思われる。
脇に小さな案内杭がある林道を
登ると小さな沢の所に案内板がある
道はない、樹木の間をかき分け登り、獣道を河川方向に歩くと県道の上に平らな所に出る。
よく観察すると土塁のように盛り上がって見えるが?
更に東上、約10㍍登ると久間山砦の石碑があった。
砦の南は稜線になり天神山につづいている。
木々の間から約400㍍先の新東名工事橋が見える。
砦は長篠城址、対岸の篠場野、有海、大海、川路など付近一帯を視回せる。
乗本、宇連川牛淵など鳥居強右衛門が脱出した度合、長走りは眼下にみえる。
今は樹木に覆われて見ることはできない。
つづく