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歴史 伝説 その他

2014年03月13日

長篠設楽原の戦い・20

 「のたば」に来たのだから「額岩・がくいわ」にも行って見る。
 雁峰連峰は本宮山(789m)、徳定雁峰(665m)、片山雁峰(707m)須長雁峰(688m)と作手地区と新城地区を峰々が別けている。古道が多く往来は盛んだったようです。
 須長雁峰方向へ道なりに進むこと約30分、登り道から水平になった脇に石が積まれている。
長篠設楽原の戦い・20
 昔、ここを通ると石が飛んできて落される、から石を積んで祈ったというのはここか?。
 上を見ると
長篠設楽原の戦い・20
 巨大岩が今にも落下しそうです。
 ここが額岩のようです、峰に近く狼煙をあげれば何処からも見えそうです。
 さらに100mほど進むと明るくなり林道に出た。
長篠設楽原の戦い・20
 作手の荒原(あらわ)地区のようです
長篠設楽原の戦い・20

 使者はこのを通って岡崎へ急いだかも判りません。

 脱出成功の狼煙は「涼み松」、「援軍来る」は額岩からあげたとも云われています。

 その日(15日)岡崎に着いた鈴木、鳥居は長篠日記には酉の刻(午後六時頃)信長が着くと聞き休憩し、到着即、長篠籠城の模様を申したという。奥平貞能や家康を通さず直に信長に会えただろうか?、様子を聞いた信長は忠義の程、立派な者たちである、「供をせよ」と言われたが城が心配、狼煙合図で安心されたい、と長篠へ戻った。

 三州長篠合戦記(乗本・阿部玄喜 記)によると強右衛門は船着山から合図の狼煙をあげた。浜松へ向かったところ家康に途中で会った、三州牛久保へ15日午後六時頃、信長が着いたので貞昌の父、奥平貞能の使者、水野金兵衛と信長に城中の事を話した。貞昌の武略を感じ、強右衛門に「我らがここまで来ているから供をせよ」と言われたが狼煙をあげる約束があるからと16日に船着山から三度狼煙を揚げた。
 

 つづく
 







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Posted by エル at 12:12
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