2014年03月26日
長篠設楽原の戦い・見聞録 29
徳川家康戦地本陣跡
徳川家康は18日到着即、長篠城西約3.4㎞の断上山に陣を置いた。新城市立東郷中学校の北になり、断上山古墳群貝塚遺跡があり20mほど高丘が北へ連なっている。
国道151号線の連吾川から見る、左に断上山と下に連吾川

八剱神社と石柱

家康本陣地碑

広場になっている

本陣にした丘、連吾川が一望できる

家康物見塚、戦場を見て陣頭指揮をとる
物見塚から連吾川を下流から上流へ見ると

竹広激戦地

その北

徳川は織田に応援依頼したから武田軍の前面に陣を配置した。
兵3万が持ってきた棚木にて馬防柵土塁空掘りを突貫工事で構築したようです。
徳川兵は本陣に1000、連吾川沿いに5000を置いた。
物見塚からの眺めは戦場を一望でき最高の位置であることを納得する。
やがて、前面の丘陵から勝楽寺に武田軍の山県昌景隊等が陣を敷く、大久保、本田、榊原等と激戦することになる。
断上山は弾正山、八剱山(やつるぎやま)と書いた物もある。
頂上に「千歳松」という立派な松の木があり遠くから目だち高松山とも呼ばれていた。
物見塚
つづく
徳川家康は18日到着即、長篠城西約3.4㎞の断上山に陣を置いた。新城市立東郷中学校の北になり、断上山古墳群貝塚遺跡があり20mほど高丘が北へ連なっている。
国道151号線の連吾川から見る、左に断上山と下に連吾川
八剱神社と石柱
家康本陣地碑
広場になっている
本陣にした丘、連吾川が一望できる
家康物見塚、戦場を見て陣頭指揮をとる
物見塚から連吾川を下流から上流へ見ると
竹広激戦地
その北
徳川は織田に応援依頼したから武田軍の前面に陣を配置した。
兵3万が持ってきた棚木にて馬防柵土塁空掘りを突貫工事で構築したようです。
徳川兵は本陣に1000、連吾川沿いに5000を置いた。
物見塚からの眺めは戦場を一望でき最高の位置であることを納得する。
やがて、前面の丘陵から勝楽寺に武田軍の山県昌景隊等が陣を敷く、大久保、本田、榊原等と激戦することになる。
断上山は弾正山、八剱山(やつるぎやま)と書いた物もある。
頂上に「千歳松」という立派な松の木があり遠くから目だち高松山とも呼ばれていた。
物見塚
つづく