2014年04月02日
長篠設楽原の戦い・見聞録 35
両軍の謀略戦
4月13日に織田家の家臣、佐久間信盛が武田方の長坂釣閑斉(ちょうかんさい)に使者を送り「かねてから信長を憎んでいる勝頼公が御旗をこちらへ進めれば信長公は出馬するであろう、一戦時に時をみて裏切り信長陣を撃つ、さすれば武田の勝利間違いなし」と持ちかけた。
内通の事は信長に内意をえてのことだったという。(三州長篠合戦記より)長坂釣閑斉はこの戦いには参加していない。
長篠合戦余話には、信長が大野田に着いた時、勝頼は甘利新五朗に偽って信長に投降する話をもち掛けた。新五郎は織田掃部助を知っていたため「勝頼は血気、忠言を聞き入れず勝手の振舞い、理をまげ私を殺そうとする、愚将である、知将の下で働きたい」という。諸将は皆、そうであろうと言ったが羽柴秀吉は甘利を疑い、偽りであると見抜き、信長にこれ利用しようと言上した。信長は佐久間信盛に計略を話、家臣、佐久間三左衛門に長篠城を包囲している跡部勝資の所に行かせ「信盛は信長公と不和である、勝頼公に仕えたいとりなしを」願い金・銀・脇差の進物を渡した。勝資は喜び投降を真実と思い引き受けた。大野田城を出発時、信盛一人軍令に背き遅れ信長に凄く叱られた。憤然とした信盛を諸将がなだめたが、無道な主君に仕えたのは残念と後陣に去った。設楽原に着くと再度、三瀬衛門を使い勝資に金銀を持たせ投降を願った。大野田の件を話、堪忍袋の緒が切れた、勝頼公にとりなしを願った。勝頼は新五郎と三左衛門の話が一致していたから疑わず三左衛門にあった。陣は丹羽長秀・滝川一益と同陣であるから軽々しく動けない、信長は武田を非常に恐れて進んで戦わない、武田が進んで攻撃すれば時期をみて信長の本陣を襲う、旗本も崩れば、家康も必ず敗走すると伝えた。勝頼は大いに喜んだ。(長篠実戦記)

川路広瀬で見た墓、
長篠城に貞昌の父親、奥平美作守貞能の筆跡を似せ矢文を城中に射た。文は「信長公上方の軍事に忙しく後詰は成り難い、早々に城を明渡すように」と云った事があった。どうした物かと思案中に奥平六兵衛という者が書面をよく見て「これは武田の謀(はかりごと)だ、偽の書に間違いない」言い張った。強右衛門の狼煙、彼の城門からの叫び声などから矢文は信用しなかった。
事実か伝説か想像して書いたかは分からないがこのような事が予想される、と言う事でしょう。
つづく
4月13日に織田家の家臣、佐久間信盛が武田方の長坂釣閑斉(ちょうかんさい)に使者を送り「かねてから信長を憎んでいる勝頼公が御旗をこちらへ進めれば信長公は出馬するであろう、一戦時に時をみて裏切り信長陣を撃つ、さすれば武田の勝利間違いなし」と持ちかけた。
内通の事は信長に内意をえてのことだったという。(三州長篠合戦記より)長坂釣閑斉はこの戦いには参加していない。
長篠合戦余話には、信長が大野田に着いた時、勝頼は甘利新五朗に偽って信長に投降する話をもち掛けた。新五郎は織田掃部助を知っていたため「勝頼は血気、忠言を聞き入れず勝手の振舞い、理をまげ私を殺そうとする、愚将である、知将の下で働きたい」という。諸将は皆、そうであろうと言ったが羽柴秀吉は甘利を疑い、偽りであると見抜き、信長にこれ利用しようと言上した。信長は佐久間信盛に計略を話、家臣、佐久間三左衛門に長篠城を包囲している跡部勝資の所に行かせ「信盛は信長公と不和である、勝頼公に仕えたいとりなしを」願い金・銀・脇差の進物を渡した。勝資は喜び投降を真実と思い引き受けた。大野田城を出発時、信盛一人軍令に背き遅れ信長に凄く叱られた。憤然とした信盛を諸将がなだめたが、無道な主君に仕えたのは残念と後陣に去った。設楽原に着くと再度、三瀬衛門を使い勝資に金銀を持たせ投降を願った。大野田の件を話、堪忍袋の緒が切れた、勝頼公にとりなしを願った。勝頼は新五郎と三左衛門の話が一致していたから疑わず三左衛門にあった。陣は丹羽長秀・滝川一益と同陣であるから軽々しく動けない、信長は武田を非常に恐れて進んで戦わない、武田が進んで攻撃すれば時期をみて信長の本陣を襲う、旗本も崩れば、家康も必ず敗走すると伝えた。勝頼は大いに喜んだ。(長篠実戦記)
川路広瀬で見た墓、
長篠城に貞昌の父親、奥平美作守貞能の筆跡を似せ矢文を城中に射た。文は「信長公上方の軍事に忙しく後詰は成り難い、早々に城を明渡すように」と云った事があった。どうした物かと思案中に奥平六兵衛という者が書面をよく見て「これは武田の謀(はかりごと)だ、偽の書に間違いない」言い張った。強右衛門の狼煙、彼の城門からの叫び声などから矢文は信用しなかった。
事実か伝説か想像して書いたかは分からないがこのような事が予想される、と言う事でしょう。
つづく