2014年04月04日
長篠設楽原の戦い・見聞録 37
武田軍設楽原へ
勝頼は設楽原へ出陣する事に決め諸軍19日から移動し始め20日に勝頼は川を渡り医王寺山の西、約1.9㎞の清井田に軍四千と共に戦地本陣を置いた。
清井田本陣跡 元お寺があった、新東名高速道路建設に関連し発掘調査中(2012.12月)




20日早朝、武田軍の将、馬場をはじめ内藤・山縣・真田等の武将が陣所巡見のため清井田にきて、明日の合戦には討死覚悟で戦う・・・と、馬柄杓で清水を汲み快飲したという。
20日は各将、設楽原に出陣して間もない事、馬場の陣は連吾川の一番上流であり、直線で1.5㎞離れている、いつ、戦いが始まるか知れない時に陣巡りなどする余裕があったか?疑問が残ります。ただし、本陣が清井田にあり、勝頼と戦略打ち合わせに来たならば話はべつです。
清井田の清水


設楽原に移動した武田軍の配置を想像しました

勝頼が医王寺山から黑⇒清井田に移動、さらに西へ赤⇒1.1㎞天王山に移動、勝頼公指揮地がある。
勝頼公清井田戦地本陣
つづく
勝頼は設楽原へ出陣する事に決め諸軍19日から移動し始め20日に勝頼は川を渡り医王寺山の西、約1.9㎞の清井田に軍四千と共に戦地本陣を置いた。
清井田本陣跡 元お寺があった、新東名高速道路建設に関連し発掘調査中(2012.12月)
20日早朝、武田軍の将、馬場をはじめ内藤・山縣・真田等の武将が陣所巡見のため清井田にきて、明日の合戦には討死覚悟で戦う・・・と、馬柄杓で清水を汲み快飲したという。
20日は各将、設楽原に出陣して間もない事、馬場の陣は連吾川の一番上流であり、直線で1.5㎞離れている、いつ、戦いが始まるか知れない時に陣巡りなどする余裕があったか?疑問が残ります。ただし、本陣が清井田にあり、勝頼と戦略打ち合わせに来たならば話はべつです。
清井田の清水
設楽原に移動した武田軍の配置を想像しました
勝頼が医王寺山から黑⇒清井田に移動、さらに西へ赤⇒1.1㎞天王山に移動、勝頼公指揮地がある。
勝頼公清井田戦地本陣
つづく