2014年04月10日
長篠設楽原の戦い・見聞録 41
奇襲隊ー5
鎧平→
奇襲隊進路の写真です。
鎧を着け攻撃準備をした兵を予め定めた四隊に分けた。
武田の五砦はここから遠近の距離差があるため同時攻撃をするには時間差進軍をした。
久間山砦はここから、ほゞ尾根つたいに約3㎞、難儀なく行けるが「君が臥(伏)床砦」は谷に降り登らねばならず約4㎞はあるだろう。
第一先発隊は遠い「君が臥床砦」と「姥ヶ懐砦」目指す、本多豊後後守広孝(46歳田原城主)を将にして兵凡そ1250
第二隊は最も近い『久間山砦・中山砦」松平左近将監忠次(55歳幡豆・津平城主)を将に凡そ兵1250、最後に発つ。
第三隊は第一隊の次に「鳶ヶ巣山砦」へ、将は松平甚太郎家忠(36歳幡豆・東条城主)凡そ兵1250。総兵4850になる。
総大将酒井左衛門尉忠次(51歳吉田城主)は織田方監軍・金森五郎八長近(52歳)、参謀武藤弥平兵衛次久と共に阿部四郎兵衛を先導に第三隊に続き、兵凡そ1100、鳶ヶ巣山の南凡そ3、4町(約327~436m)離れた幕の森に陣をとる予定。
天神山下までは全ての隊は同じ道を通った。
菅沼を発つ、滑り落ちそう
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丸山の案内柱
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高塚山、常寒山、地図名と地元名の柱
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月ヶクボ柱、尾根より東側を歩く
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ボボウジ、鎧平から22分
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道が分ているが当時は直進したであろう、峠山コースだ
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尾根を峠山へ
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西に新東名工事が見える
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林道に出る
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左上から降りて来た、林道を前方に進む
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鎧平から50分かかりました。
鎧平→
奇襲隊進路の写真です。
鎧を着け攻撃準備をした兵を予め定めた四隊に分けた。
武田の五砦はここから遠近の距離差があるため同時攻撃をするには時間差進軍をした。
久間山砦はここから、ほゞ尾根つたいに約3㎞、難儀なく行けるが「君が臥(伏)床砦」は谷に降り登らねばならず約4㎞はあるだろう。
第一先発隊は遠い「君が臥床砦」と「姥ヶ懐砦」目指す、本多豊後後守広孝(46歳田原城主)を将にして兵凡そ1250
第二隊は最も近い『久間山砦・中山砦」松平左近将監忠次(55歳幡豆・津平城主)を将に凡そ兵1250、最後に発つ。
第三隊は第一隊の次に「鳶ヶ巣山砦」へ、将は松平甚太郎家忠(36歳幡豆・東条城主)凡そ兵1250。総兵4850になる。
総大将酒井左衛門尉忠次(51歳吉田城主)は織田方監軍・金森五郎八長近(52歳)、参謀武藤弥平兵衛次久と共に阿部四郎兵衛を先導に第三隊に続き、兵凡そ1100、鳶ヶ巣山の南凡そ3、4町(約327~436m)離れた幕の森に陣をとる予定。
天神山下までは全ての隊は同じ道を通った。
菅沼を発つ、滑り落ちそう
丸山の案内柱
高塚山、常寒山、地図名と地元名の柱
月ヶクボ柱、尾根より東側を歩く
ボボウジ、鎧平から22分
道が分ているが当時は直進したであろう、峠山コースだ
尾根を峠山へ
西に新東名工事が見える
林道に出る
左上から降りて来た、林道を前方に進む
鎧平から50分かかりました。