2014年04月11日
長篠設楽原の戦い・見聞録 42
奇襲隊ー6
林道本久線を鳶ヶ巣山砦址へ
峠山を越え林道に出るが古道は林道になったのか確認できず。
林道を左に下がると市川、林道を直進(北方向、乗本)へ歩く。
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林道が舗装になる
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右に登ると天神山へ
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この辺りで久間山砦・中山砦奇襲隊は左へ降りる
辺りの古道が見当たらず、探索を後日要す
鳶ヶ巣へ急ぐ、左に新東名高速道路工事が見える、真下に乗本トンネルがある。
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林道を進むと右手に乗本から登ってくる道と合流、直進する。
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右に金刀比羅神社を観て直進すると
右に鳶ヶ巣山砦の石碑がある
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碑の横に長篠合戦時に生存していたという「天正杉」が横たわっている
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明治7年の台風で倒れた、昭和12年に枯死した。
砦址から西へ、遠くに設楽原赤⇒、眼下に長篠城址が一望できる
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吉川登り口(9:35)から鳶ヶ巣砦(13:09)まで約5.5㎞(推定)、約3時間30分でした。
鎧はなしの行動と菅沼・鎧平では休憩なしの時間です。
天正3年5月21日、陽暦7月9日、当日の日の出は午前4時32分、月は午後11時過ぎに昇ったとしても雨だったというから闇夜の無言の行軍は難儀だったことは想像つく。
大正13年の夏、豊橋機闘銃隊100余名が機関銃と馬14頭を引き松山越えをした。市川に出て鳶ヶ巣砦来た。地元在郷軍人、青年団が出て大騒ぎだったという、約半日を要したと柹原明十氏は記している。
砦に接近した奇襲隊の戦闘の様子は明十氏の「鳶ヶ巣山の奇襲と合戦問答」(昭和八年発行)を参考に記します。
つづく
鳶ヶ巣山砦址
林道本久線を鳶ヶ巣山砦址へ
峠山を越え林道に出るが古道は林道になったのか確認できず。
林道を左に下がると市川、林道を直進(北方向、乗本)へ歩く。
林道が舗装になる
右に登ると天神山へ
この辺りで久間山砦・中山砦奇襲隊は左へ降りる
辺りの古道が見当たらず、探索を後日要す
鳶ヶ巣へ急ぐ、左に新東名高速道路工事が見える、真下に乗本トンネルがある。
林道を進むと右手に乗本から登ってくる道と合流、直進する。
右に金刀比羅神社を観て直進すると
右に鳶ヶ巣山砦の石碑がある
碑の横に長篠合戦時に生存していたという「天正杉」が横たわっている
明治7年の台風で倒れた、昭和12年に枯死した。
砦址から西へ、遠くに設楽原赤⇒、眼下に長篠城址が一望できる
吉川登り口(9:35)から鳶ヶ巣砦(13:09)まで約5.5㎞(推定)、約3時間30分でした。
鎧はなしの行動と菅沼・鎧平では休憩なしの時間です。
天正3年5月21日、陽暦7月9日、当日の日の出は午前4時32分、月は午後11時過ぎに昇ったとしても雨だったというから闇夜の無言の行軍は難儀だったことは想像つく。
大正13年の夏、豊橋機闘銃隊100余名が機関銃と馬14頭を引き松山越えをした。市川に出て鳶ヶ巣砦来た。地元在郷軍人、青年団が出て大騒ぎだったという、約半日を要したと柹原明十氏は記している。
砦に接近した奇襲隊の戦闘の様子は明十氏の「鳶ヶ巣山の奇襲と合戦問答」(昭和八年発行)を参考に記します。
つづく
鳶ヶ巣山砦址