2014年04月19日
長篠設楽原の戦い・見聞録 48
奇襲隊ー13
鳶ヶ巣山砦
君が臥床の武田方の友町(反町)大膳が重傷か死骸を和田が馬に乗せ戦場を退いたと古記録もあるという。
鳶ヶ巣山へ援軍に出た長竹と兵100は砦の東谷合いを降りた。自砦に敵軍が西から攻め登って来ることなど知らずに藤沢、細久保を平岩に駆け登り頂上に出ると、なんと、そこは偶然にも酒井忠次の本陣地、幕の森の取り手の横手だった。
武田軍長竹100兵は谷下川からこの辺りに登り出た


酒井本陣手前
取手と云われる所
陣まで2.30間の近く、陣を見ると陣兵は前方、鳶ヶ巣山砦に気を取られ気付いていなかった。これ幸いと100人一丸となって攻め込んだ。
不意を討たれた酒井本陣、旗本勢は小勢と見るとただちに反撃、包囲した。織田軍の武藤弥兵衛は勇壮に戦い長竹軍は多くを討ち取られた。長竹は最早これまでと覚悟を決め将の酒井忠次を討たんと、敵の首を持ち、味方のふりをして酒井に近づいたが見破られ討たれた。残兵もほとんど討ち死した。 長竹の墓・石碑はない。
鳶ヶ巣山砦は武田信実(33歳)・小宮山信近ら、500余人が守っていた。
鳶ヶ巣山砦の後備の裏木戸に迫った松平甚太郎家忠(36歳幡豆東条)は木戸に行く地形が馬の背のように狭く通れづ急襲は困難、地形から砦包囲もできない。片側から攻めるも不便であった。木戸で小勢合いも前進できな。砦の南側に狭いが平地があるのでそこから本攻撃を始めた。
裏木戸前の馬の背中

今は道路が通っている
不意討ちの寝ぼけ眼の砦兵も要害をもって防戦し容易に攻略できないと思い、家忠は家臣の平岩らに手分けして棚外から各所に放火を命じた。火は南風受け棚内に燃え広がり砦兵は狼狽し始めた。天野揔次郎西次は棚を破り攻め込み「砦一番乗り」と叫んだ。
私の予想図

黄色は鳶ヶ巣山砦
赤は酒井本陣
黑→は長竹軍進路
つづく
裏木戸の馬の背部
鳶ヶ巣山砦
君が臥床の武田方の友町(反町)大膳が重傷か死骸を和田が馬に乗せ戦場を退いたと古記録もあるという。
鳶ヶ巣山へ援軍に出た長竹と兵100は砦の東谷合いを降りた。自砦に敵軍が西から攻め登って来ることなど知らずに藤沢、細久保を平岩に駆け登り頂上に出ると、なんと、そこは偶然にも酒井忠次の本陣地、幕の森の取り手の横手だった。
武田軍長竹100兵は谷下川からこの辺りに登り出た
酒井本陣手前
取手と云われる所
陣まで2.30間の近く、陣を見ると陣兵は前方、鳶ヶ巣山砦に気を取られ気付いていなかった。これ幸いと100人一丸となって攻め込んだ。
不意を討たれた酒井本陣、旗本勢は小勢と見るとただちに反撃、包囲した。織田軍の武藤弥兵衛は勇壮に戦い長竹軍は多くを討ち取られた。長竹は最早これまでと覚悟を決め将の酒井忠次を討たんと、敵の首を持ち、味方のふりをして酒井に近づいたが見破られ討たれた。残兵もほとんど討ち死した。 長竹の墓・石碑はない。
鳶ヶ巣山砦は武田信実(33歳)・小宮山信近ら、500余人が守っていた。
鳶ヶ巣山砦の後備の裏木戸に迫った松平甚太郎家忠(36歳幡豆東条)は木戸に行く地形が馬の背のように狭く通れづ急襲は困難、地形から砦包囲もできない。片側から攻めるも不便であった。木戸で小勢合いも前進できな。砦の南側に狭いが平地があるのでそこから本攻撃を始めた。
裏木戸前の馬の背中
今は道路が通っている
不意討ちの寝ぼけ眼の砦兵も要害をもって防戦し容易に攻略できないと思い、家忠は家臣の平岩らに手分けして棚外から各所に放火を命じた。火は南風受け棚内に燃え広がり砦兵は狼狽し始めた。天野揔次郎西次は棚を破り攻め込み「砦一番乗り」と叫んだ。
私の予想図
黄色は鳶ヶ巣山砦
赤は酒井本陣
黑→は長竹軍進路
つづく
裏木戸の馬の背部