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歴史 伝説 その他

2014年08月21日

長篠設楽原の戦い・見聞録 102

 新城市竹広に設楽氏の陣屋跡がある。
 陣屋は郡代・代官など役所であり兵の詰所を兼ねていた建物のことです。
 長篠設楽原の戦い時、この陣屋跡から南に約400mの川路城主だった設楽貞道(したらさだみち)は徳川方に属し酒井忠次砦奇襲隊として参戦した。
 砦奇襲によって武田軍が豊川伝いに下って来るところを別行動隊とし左岸、日吉地区樋田(といた)に兵500鉄砲50挺で陣を構えた。
 地元の戦いであり知り尽くした事からこの役目を命じられたと思われ、また奇襲失敗の時は奇襲隊退路を確保の役目もあった事でしょう。
 敗走兵を待ち構え特に弓の名手、夏目久四郎の働きは後に家康から感状を与えられたという。
 徳川家の関東移封に従い天正18年武蔵国へ。
 貞道の二男が分家してこの地に六ヶ村の領主として戻り明治維新まで治めた。
 国道151号線からみる
長篠設楽原の戦い・見聞録 102
長篠設楽原の戦い・見聞録 102
 陣屋跡には当時の井戸がある
長篠設楽原の戦い・見聞録 102
 覗くと奇麗です
長篠設楽原の戦い・見聞録 102
 南から
長篠設楽原の戦い・見聞録 102

 陣屋は出沢地区に移転して保存されています。

東栄町の設楽氏がこの地に移ったとも云われています。
 

 竹広陣屋跡


東栄町設楽城址
2012/03/01
城攻めレジタルスタンプ
 城攻めレジタルスタンプも6ヶ所めです。 今回は東栄町の設楽城祉跡です。



 国道151号線の案内

 中央の森の中

 駐車場と案内板 中央の道を上がる

 堀切

 本丸跡 

 設楽城址石柱

 説明文




 簡単に見学できる城址です。

 後、豊根村の黒川城址です。
 






 つづく



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Posted by エル at 16:01
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