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2014年08月29日

長篠設楽原の戦い・見聞録 103

 陣中食はどうしていたか 

 遠方へ長期出陣時は食糧はどうしていたか、武器食糧の補給は大切なことである。現地調達が最も良策であるが敵地では農民分はあっても余分な食糧は既にないと考えられる。脅迫などで手に入れると怨まれ後に味方にならず一揆も考えられるから金購入であった。
 長篠城もあと4.5日の食糧しかなく、城内の状況を家康に知らせるために鈴木金七、鳥居強右衛門が脱出している。
 腹が空っては戦にならぬ、と言いますが勝利への道は食料確保が重要であった。

 出陣が決まると日頃食べない白米ご飯と大豆味噌汁を日に二食から三食にして体力を養い即戦力エネルギーになるようにしたという。
 平時は一日玄米五合に糠味噌汁がつき朝夕に分けて食べていた。三食になったのは江戸時代平穏になってからだが総ての民が食べられたのではない。
 陣中食は支給されるのが基本であったが、朝餉(あさげ・朝ごはん)は食べても戦いが始まるとその先はどうなるか解らない、勝者はまだしも敗者になると命さえ危ぶまれ食どころでない。その時に非常食として携帯していたのが
 乾飯(ほしいい) 炊いた飯を乾燥させたもの
 炒米(いりごめ) 玄米を鍋炒めたもの
 干し納豆   納豆に塩、山椒(さんしょ)、しょうが、麦粉を加え乾燥したもの
 焼き味噌 味噌をうすく伸ばして火で炙り球にしたもの、玉味噌とも言う
 梅干し玉(丸) 種を取り乾燥、疲れも舐めると回復したという
 兵糧丸 これが一番の食糧とおもわれる、黒大豆、麻の実、そば粉を混ぜ酒に浸け日干し、再度酒浸け乾燥し一寸(3㎝)の丸にしたもの
 兵糧丸はいろいろ研究されていた、そば粉、鰹節、魚干し、梅干し、人参、山芋、甘草(かんぞう・薬草)などを乾燥、粉末にし酒に浸け丸にして乾燥する。一日に2.3個食せば疲れることがなかったという。
 朝、開戦前は握り飯が出た、味噌乾燥梅入り、珠数玉状に打違袋(うちかいふくろ)に入れ首胴に巻き携行した。
 
 いもがら縄 里いもの茎を乾燥し味噌と煮干しで味付けし日干しする。縄にして身に付け鉄製陣笠で味噌汁を作った。
長篠設楽原の戦い・見聞録 103
 里いも
 わら苞(わらつと) 保存方法 わらやすすきの葉の中に飯を入れ巻き風通しよい所に置く、木に吊るすなど。

 夏は炎天、冬は冷風、雨雪にさらされ難儀苦労の連続である、野戦生活に体力が持たないと討ち死である。
 
 重要だったのは大豆など豆類、味噌は保存食の代表であり徳川家康は三河味噌(岡崎)武田信玄は陣屋味噌、上杉謙信は越後味噌、伊達正宗は仙台味噌と軍用味噌を大量に生産していたと思われます。家康は麦ごはんと味噌を好み、しろご飯は食べなかったという。66歳で子供ができたというから麦飯と味噌は強請剤としても有効なのでしょう。

 陣中食は災害飢饉など今日でもサバイバルとして活用できる食です。
 震災などに備えて昔生活を勉強することも大切です。 
 
 
 







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Posted by エル at 13:16
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