2015年04月29日
伊那街道を歩く 46
設楽町八橋谷合橋~知生峠
B県道10号線、A谷合バス停の境川に架かる谷合橋から伊那街道を長野県根羽村へ歩く。
境川の支流・知生沢に沿って町道を進み街道は右草地 に入る。この左手に臼が数個あり脚踏みで精米していた、臼場(うすんば)と言い屋号になった家もあったという。

道跡はあるが使用してないため歩き辛い、左の町道拡幅工事中、伐採され明るくなっているがゴミが散乱、特に目立つのがコンビニ弁当カラだ。
歩き出して約250m、知生沢に左側から②悪魔沢が合流する所に①土橋があったが崩落してか形もない。

沢に下りて渡り直ぐ左に③道標がある、残念ながら上部が折れてない。おそらく直進道と左折道の案内だろう。

道標を左折し④庚申坂を登ると街道は崩壊している、上部を迂回する。

道標から12分、坂の名前になった⑤庚申様が右手に祀られている。

庚申坂を登り元知生集落のあった辺りは明るく町道の脇にわずかながら街道跡が残っている。
街道は⇒方向に行く

⑥民家前を左折し知生峠へ古道を歩く、歩き出して約30分だ。

左右に折れ曲がった街道の右は広く伐採され明るい

昔は畑であったか石積みが見られる

林道に出る

伐採された所から住民移転した八橋地区が⑦眼下に見る、中央に県道10号線が白く見える。


スタートから約1時間30分、⑧知生峠の林道知生線にでる


知生峠殺人事件が弘化4年にあった所だ。
事件のあらましは後日記載
歩いたコース

スタート地点
つづく
B県道10号線、A谷合バス停の境川に架かる谷合橋から伊那街道を長野県根羽村へ歩く。
境川の支流・知生沢に沿って町道を進み街道は右草地 に入る。この左手に臼が数個あり脚踏みで精米していた、臼場(うすんば)と言い屋号になった家もあったという。
道跡はあるが使用してないため歩き辛い、左の町道拡幅工事中、伐採され明るくなっているがゴミが散乱、特に目立つのがコンビニ弁当カラだ。
歩き出して約250m、知生沢に左側から②悪魔沢が合流する所に①土橋があったが崩落してか形もない。
沢に下りて渡り直ぐ左に③道標がある、残念ながら上部が折れてない。おそらく直進道と左折道の案内だろう。
道標を左折し④庚申坂を登ると街道は崩壊している、上部を迂回する。
道標から12分、坂の名前になった⑤庚申様が右手に祀られている。
庚申坂を登り元知生集落のあった辺りは明るく町道の脇にわずかながら街道跡が残っている。
街道は⇒方向に行く
⑥民家前を左折し知生峠へ古道を歩く、歩き出して約30分だ。
左右に折れ曲がった街道の右は広く伐採され明るい
昔は畑であったか石積みが見られる
林道に出る
伐採された所から住民移転した八橋地区が⑦眼下に見る、中央に県道10号線が白く見える。
スタートから約1時間30分、⑧知生峠の林道知生線にでる
知生峠殺人事件が弘化4年にあった所だ。
事件のあらましは後日記載
歩いたコース
スタート地点
つづく