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歴史 伝説 その他

2016年08月07日

井伊家ゆかりの地 宇利城の近藤家

 浜松市北区の都田への途中、国道362号線沿いに大きな看板に「宝林寺」とあります。数回前を通ったのですが気になりよってみた。
 案内板に金指・気賀両近藤家の菩提寺とあります。あの井伊家3人衆、宇利城の近藤家の菩提寺でした。
山門から本殿を見る
井伊家ゆかりの地 宇利城の近藤家
本殿
井伊家ゆかりの地 宇利城の近藤家
正徳6年建てた方丈、指導堂 
井伊家ゆかりの地 宇利城の近藤家
猿候杉(えんこうすぎ)
井伊家ゆかりの地 宇利城の近藤家
 金鳴石 叩くと澄んだ音がする
井伊家ゆかりの地 宇利城の近藤家
 金運上昇 御利益があると伝う

 近藤康用(やすもち)は三州宇利に土着の武士の末裔だったが松平清康が奥三河侵攻には宇利城主・熊谷備中守を攻め落し宇利城を賜わり松平家に仕え、今川家の井伊家にと替える(近藤家系譜)という。
 その後、今川氏の井伊家に仕え井伊直政に従い各地を転戦するが秀用(ひでもち)の時、井伊谷に帰る。2代将軍秀忠に引佐一万石を賜わりその後近藤五家に分派した。
 宇利・近藤家満用ー忠用ー康用(やすもち)ー秀用(ひでもち)ー金脂近藤家季用(すえもち)ー貞用(さだもち)ー徳用(のりもち)・・・・・
 近藤五家
金指近藤家(本家) 気賀、井伊谷、大谷、花平石岡

 寺は寛文四年(1664)貞用が明国の福建省、1628年生まれの僧、独湛禅師を招き開創した。
 以来、金指近藤家と気賀近藤家の菩提寺として栄えた。
 中国明朝風の建築様式は国指定重要文化財になっている

 独湛禅師は18年間住職を務め萬福寺へ移る、1706年に入寂。
宝林寺


 
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Posted by エル at 17:26
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