2016年11月24日
井伊家ゆかりの地 井伊直平公廟所
川名の「ひおんどり」から伺った道を下り三岳山を登る道を左右気配りしながら車を走らせるが直平公墓入口に気付かず中腹辺りまで来た。戻ると道脇に目印の案内板があった。

脇に車を停め歩く

高台へ5分ほどで上ると開け畑になる。見回すと畑の中に墓がある


裏に刻んであるが読めないが
「渓雲院殿前遠江国司西月顕祖大居士覚儀」
側面 永禄癸亥九月十八日逝 刻んであるそうです
永禄6年、1563年のこと
亀之丞が帰郷した、弘治元年(1556)→直親になって斬り殺されたのが永禄5年12月14日(1562)です

地区から離れ墓があり民家が一軒、向山さん宅が墓守のように建っている。
向山さんに伺うと「昔から住んでいるが縁は聴いていない、家の前に墓があるから家で祀っている」との事。
直平には4人の男子があった。
直平ー→直宗→田原城攻め、戦死
↓ |→ 直盛 今川家臣・新野親矩(ちか
のり、左馬助)の妹(友椿尼)を
↓ 妻にする、直虎(次郎法師)生ま
れる、直盛は桶狭間の戦いで戦
死.
↓ 南渓→ 出家・龍潭寺二世になる
↓ 直満→ 今川に殺害される、子・直親(亀之
丞)信州松源寺へ避難
直親ものちに今川に殺害される、子が虎
松(直政)が残る
↓ 直義→ 直満と共に殺害される
直平は今川氏真の命により出陣途中、飯尾連龍の妻・お田鶴(椿姫)の方が毒茶を呑ませ殺害したとも云う。
家臣・大石作左衛門が亡骸を川名に持ち帰り埋葬し大石も自刃したと云う。
直平も死に井伊家の男子は幼い虎松だけになるが狙われ鳳来寺に隠れる。
5男・直元がいたと云うがハッキリしない。
脇に車を停め歩く
高台へ5分ほどで上ると開け畑になる。見回すと畑の中に墓がある
裏に刻んであるが読めないが
「渓雲院殿前遠江国司西月顕祖大居士覚儀」
側面 永禄癸亥九月十八日逝 刻んであるそうです
永禄6年、1563年のこと
亀之丞が帰郷した、弘治元年(1556)→直親になって斬り殺されたのが永禄5年12月14日(1562)です
地区から離れ墓があり民家が一軒、向山さん宅が墓守のように建っている。
向山さんに伺うと「昔から住んでいるが縁は聴いていない、家の前に墓があるから家で祀っている」との事。
直平には4人の男子があった。
直平ー→直宗→田原城攻め、戦死
↓ |→ 直盛 今川家臣・新野親矩(ちか
のり、左馬助)の妹(友椿尼)を
↓ 妻にする、直虎(次郎法師)生ま
れる、直盛は桶狭間の戦いで戦
死.
↓ 南渓→ 出家・龍潭寺二世になる
↓ 直満→ 今川に殺害される、子・直親(亀之
丞)信州松源寺へ避難
直親ものちに今川に殺害される、子が虎
松(直政)が残る
↓ 直義→ 直満と共に殺害される
直平は今川氏真の命により出陣途中、飯尾連龍の妻・お田鶴(椿姫)の方が毒茶を呑ませ殺害したとも云う。
家臣・大石作左衛門が亡骸を川名に持ち帰り埋葬し大石も自刃したと云う。
直平も死に井伊家の男子は幼い虎松だけになるが狙われ鳳来寺に隠れる。
5男・直元がいたと云うがハッキリしない。