2018年07月11日
我家の先祖 岩古谷山へ登る、6 城址探索
岩古谷山の岩古屋城址から西へ尾根を2.30m歩くと石仏が祀られている。その先端は西一帯が見晴らせる戦の時は物見にも使われた事でしょう。
長い歳月ここに座石、やや傾いている
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座石に文字が刻まれている
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文字を拡大してみると
在東三豪族菅沼氏據設楽郡
東三河の豪族菅沼氏は設楽郡
野田村字根古谷城曰織部正
野田村字ねごや城(新城市野田城)を拠点とする織部正といった
貞正大永■此拓峻嶮樵(?)木成
塞新名是号根古谷自
貞正のとき大永年間(1521~28)にここで険しい山を拓き木を切り払い塞(とりで)を造り、新しい地名を根古谷とした
永禄年中伊豆守正貞據是属今川武田二氏旗下・・・・・中略
永禄年中(1558~70)に伊豆守正貞は、ここを根拠地として今川武田の二氏の部下になった・・・・中略
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明治革新聊刻臺石旧蹟傳永
遠■■世襲家号和市區本屋
明治になって物事がどんどん新しくなっていくので台座に昔の事を刻み、永遠に伝えたい。
代々家を継いできた私は和市地区の本屋である。
観音様?を奉ったのも和市の本屋、金田家だったのです。
新城市野田の野田城も「根古屋城」と言ったようです。
設楽町和市地区の城址辺りも字根古谷として地名は残っています。
根古谷とは山麓の住居を言うそうです、家臣団の住居
左右絶壁 切り立った所を西先端に行くと
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眼下に和市地区が見える
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下山は隠れ道があると本屋で聞いた、今は通れるだろうか?
つづく
24℃ → 35℃ はれ
長い歳月ここに座石、やや傾いている
座石に文字が刻まれている
文字を拡大してみると
在東三豪族菅沼氏據設楽郡
東三河の豪族菅沼氏は設楽郡
野田村字根古谷城曰織部正
野田村字ねごや城(新城市野田城)を拠点とする織部正といった
貞正大永■此拓峻嶮樵(?)木成
塞新名是号根古谷自
貞正のとき大永年間(1521~28)にここで険しい山を拓き木を切り払い塞(とりで)を造り、新しい地名を根古谷とした
永禄年中伊豆守正貞據是属今川武田二氏旗下・・・・・中略
永禄年中(1558~70)に伊豆守正貞は、ここを根拠地として今川武田の二氏の部下になった・・・・中略
明治革新聊刻臺石旧蹟傳永
遠■■世襲家号和市區本屋
明治になって物事がどんどん新しくなっていくので台座に昔の事を刻み、永遠に伝えたい。
代々家を継いできた私は和市地区の本屋である。
観音様?を奉ったのも和市の本屋、金田家だったのです。
新城市野田の野田城も「根古屋城」と言ったようです。
設楽町和市地区の城址辺りも字根古谷として地名は残っています。
根古谷とは山麓の住居を言うそうです、家臣団の住居
左右絶壁 切り立った所を西先端に行くと
眼下に和市地区が見える
下山は隠れ道があると本屋で聞いた、今は通れるだろうか?
つづく
24℃ → 35℃ はれ