2019年09月25日
白須賀宿の火防槙
静岡県湖西市浜名湖周辺の今月15日19日24日の記事続きになります。
東海道五十三次、白須賀宿は地震大津波襲来前は潮見坂の下、海岸にありました。津波高波で甚大な被害を被り潮見坂上に移転し今の白須賀宿になったのです。しかし高台ですから西風が強く火災が発生すると茅葺屋根がほとんどあった事から大火災になった。延焼を防ぐために常緑樹で火に強い「槙の木・まきのき」を街中3地点に植え防火林として大切にした。防火林の広さは間口2間(3.6m)奥行き4間半(8.2m)だった。市の指定文化財になって火防(かぼう)と呼んでいる。
街道街中 民家庭に残っている槙ノ木
今は街道を挟んで一列に7本残っている
南側 湖西市史には平成元年5本現存とあるが今、3本になっている
北側 根っ子が露出して枯れる?
道端の白須賀マップ 左上赤丸が火防(防火林)位置
安永二年三月六日夜の大火は殆どの全宿焼失した。この時に火防に槙の木が植えられた、樹齢は250年だろう。
潮見坂で出会った方と話をしていると興味ある話があった。
20℃ - 32℃ 晴れ
東海道五十三次、白須賀宿は地震大津波襲来前は潮見坂の下、海岸にありました。津波高波で甚大な被害を被り潮見坂上に移転し今の白須賀宿になったのです。しかし高台ですから西風が強く火災が発生すると茅葺屋根がほとんどあった事から大火災になった。延焼を防ぐために常緑樹で火に強い「槙の木・まきのき」を街中3地点に植え防火林として大切にした。防火林の広さは間口2間(3.6m)奥行き4間半(8.2m)だった。市の指定文化財になって火防(かぼう)と呼んでいる。
街道街中 民家庭に残っている槙ノ木
今は街道を挟んで一列に7本残っている
南側 湖西市史には平成元年5本現存とあるが今、3本になっている
北側 根っ子が露出して枯れる?
道端の白須賀マップ 左上赤丸が火防(防火林)位置
安永二年三月六日夜の大火は殆どの全宿焼失した。この時に火防に槙の木が植えられた、樹齢は250年だろう。
潮見坂で出会った方と話をしていると興味ある話があった。
20℃ - 32℃ 晴れ