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歴史 伝説 その他

2013年10月08日

連合・地名由来

 新城市連合(れんごう)地区です。
 県道32号線北側、与良木峠にかけてあった真菰(まこも)・方瀬・小野・須山が、明治11年合併し、4つの村が連合した村、連合とした。
連合・地名由来
連合・地名由来
連合・地名由来
 小学校名は四谷と連合から連谷(れんごく)小学校としている。
 真菰という字名も初めてのこと、伺うと
 イネ科の植物にマコモタケがあるが地元の方はそれとは違った段の上とか石垣の上に生えている所とかいう。
 段々になった所の意味かな?。
 また、安閑(あんかん)天皇の話もでました。
 高貴な方が住んでいたが後に安閑天皇になった
 安閑天皇を祀った「金峯神社」(きんぷじんじゃ)があったが今はないという。
 神社址を探し「この山の中腹」という所まで行ったが
連合・地名由来
 地神様が祀られ、階段のような石段がある
 道がない!
連合・地名由来
 後日探索しよう
 対岸からの写真です
連合・地名由来
 安閑天皇は第27代天皇であり在位4年、70歳で崩御された。
 前26代継体天皇も越前三国に住んでいたが58歳で天皇に迎えられた皇室遠縁の方です。
 継体天皇の皇子であれば越前に住まわれていただろうに?。
 別の皇室の縁者の方か?当時の権力者大伴氏・物部氏が擁立したのか?
 
 金峯神社、境場1番地の土地所有が大正3年(1914)まで宮内省であった。
 2番地の土地が内務省の所有だった。など登記簿書類に記録されているという。
 
 金峯神社は海老神社に併祀されている。

 連合地区
 

 

 
 



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Posted by エル at 16:00
Comments(4)歴史伝説
この記事へのコメント
凄い!新城の辺りは神話の世界にもつながってるのね~。
大体新城って名前自体も意味ありげな・・‥
翻ってわが渥美はどうもアイヌ語らしい。
また一説には海人族が黒潮にのって南の島からやってきたとか・・村の神社名は兎頭でいなばの白兎族の系統とか。イロイロと楽しいわな。
Posted by ヨッコ at 2013年10月08日 17:17
ヨッコ さん
そうですよ! 渡来人300人追われて来た、その文化技術で物造りが発達したとか。 ヨッコさんのご先祖は?。 
Posted by エルエル at 2013年10月08日 19:27
もちろん 由緒正しきミクロネシア人です
Posted by ヨッコ at 2013年10月09日 10:27
ヨッコ さん
納得?(笑)
ワシャ 純アイヌ系かい((笑)
Posted by エルエル at 2013年10月09日 11:07
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