2014年03月10日
長篠設楽原の戦い・見聞録 17
長篠城西、寒狭川側野牛廓の不浄口から絶壁を川原に降りた。時は梅雨、増水はしていたと思うが深夜丑の刻(午前2時ころ)監視と鳴子網が張られた水中を網を切り下る事は水泳達者な鳥居・鈴木とて容易いでない。怪しいと気づいたが番兵の今井新介が「この時期には大きな鱸(すずき)がいる、網を切ることもある」と調べなかった。

長走(ながばしり)浅瀬がつづく、昼間は見付かる、上橋は新東名道路

下流一里(約4㎞)川路の早滝の下、広瀬で上陸したという、文字のごとく広い瀬に今もなっている

連吾川が豊川に注ぐ所、広瀬の渡しがあった

広瀬の「青石」の名称が時々古文書にある、陸に上がった地点の約100m下流に今もある

青石は緑色片岩、結晶変岩?後日、砦奇襲隊4千がこの瀬を渡った
右岸に上がると案内柱がある

近くに設楽氏の本城があった広瀬。家臣だった広瀬を名乗る家(庄屋)、そこで衣類を替え腹ごしらえ、弁当を持ち雁峰山へ向かった。
鈴木金七は富永の川上村生まれ、子供の頃から里山豊川は遊場であったと考えられ、地形道筋はよく知っていた。
狼煙を上げたのは船着山の中腹、向ひの山、前の山、鳥原山など諸説まります。援軍要請ですから家康に会う事、雑兵の鳥居、下級の鈴木が貞昌の親である貞能に会うのが一番でしょう。
緑色片岩

上陸した広瀬
赤⇒は私の想像です。
つづく
長走(ながばしり)浅瀬がつづく、昼間は見付かる、上橋は新東名道路
下流一里(約4㎞)川路の早滝の下、広瀬で上陸したという、文字のごとく広い瀬に今もなっている
連吾川が豊川に注ぐ所、広瀬の渡しがあった
広瀬の「青石」の名称が時々古文書にある、陸に上がった地点の約100m下流に今もある
青石は緑色片岩、結晶変岩?後日、砦奇襲隊4千がこの瀬を渡った
右岸に上がると案内柱がある
近くに設楽氏の本城があった広瀬。家臣だった広瀬を名乗る家(庄屋)、そこで衣類を替え腹ごしらえ、弁当を持ち雁峰山へ向かった。
鈴木金七は富永の川上村生まれ、子供の頃から里山豊川は遊場であったと考えられ、地形道筋はよく知っていた。
狼煙を上げたのは船着山の中腹、向ひの山、前の山、鳥原山など諸説まります。援軍要請ですから家康に会う事、雑兵の鳥居、下級の鈴木が貞昌の親である貞能に会うのが一番でしょう。
緑色片岩
上陸した広瀬
赤⇒は私の想像です。
つづく
この記事へのコメント
本屋さんで何の気なく池波正太郎さんの本を手にしたら、鳥居強右衛門の短編がありました。思わず買う。小説の世界ながら、こういう描き方もあったのだ。
Posted by maetetu at 2014年03月12日 06:24
maetetu さん
池波正太郎さんの読んでいません。
どんな描き方が興味ありますね。
歴史と伝説、人によっていろいろな捉え方があって面白いですね。権力者が書いた物は自分に都合よく書きますからね。狼煙をあげた場所でも城の付近であげたと言うお婆さんがいましたよ!だから捕まったと・・。
今となっては読んで聞いて空想の世界です。
池波正太郎さんの読んでいません。
どんな描き方が興味ありますね。
歴史と伝説、人によっていろいろな捉え方があって面白いですね。権力者が書いた物は自分に都合よく書きますからね。狼煙をあげた場所でも城の付近であげたと言うお婆さんがいましたよ!だから捕まったと・・。
今となっては読んで聞いて空想の世界です。
Posted by エル
at 2014年03月12日 09:43
