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歴史 伝説 その他

2014年07月15日

長篠設楽原の戦い・見聞録 97

 戦いが終わって

 21日、武田軍を掃討し大勝した織田徳川軍が続々長篠城に集まって来た。
 奇襲隊に参加していた貞昌の父と祖父・奥平貞能(さだよし)・道文入道(どうぶんにゅうどう)は無事を大いに喜んだ。
 信長の嫡子・秋田城之助、家康の嫡子・岡崎信康が長篠城に入り貞昌および籠城し防戦した各将に其々御杯を与えた
 22日、織田信長・徳川家康は有海村の古呂水坂(ころみつさか)に城主・奥平九八朗貞昌を招き「武田の大軍を小勢にて立派な働きであった、織田徳川が後詰し大勝利できたのは落城せず踏みとどまった事が大勝利になった」と喜ばれた。
 家康から長光の名刀を賜り一族七人家臣五人に地知所を与えた。
長篠設楽原の戦い・見聞録 97
 コロミツ坂の石碑

 人質として武田に殺され妻を亡くした貞昌に家康の長女を嫁がせることとした。信長からは信長の一字を受け、信昌に名前を改めた。

 長篠日記は来密坂(ころみつざか)へ奥平九八朗はじめ一族七人家老五人を呼び苦労であったと盃を下された。篠原で強右衛門の磔(はいつけ)を観て「誠に忠義な者、法事を営み葬れ」と仰せになり、作手の鴨が谷村甘泉寺に弔った。
篠原・ 強右衛門の碑
長篠設楽原の戦い・見聞録 97


 戦場になった川路村松楽寺に立ち寄りこれからは勝楽寺と寺号を改めるようにと言ったという。日付けが天正三年亥年五月二十一日となっている。
 勝楽寺
長篠設楽原の戦い・見聞録 97
長篠設楽原の戦い・見聞録 97
 激戦地の碑

 21日、長篠合戦はかくの如くであった。
 で、長篠日記は終わっている。

22日でなく、合戦が終わった当日に信長、家康がコロミツ坂に来たことになっている。
 信長公記にはコロミツ坂の事は書かれていない。

 信長は25日には岐阜に帰った。

 コロミツ坂 石碑


 つづく




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Posted by エル at 17:31
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