2014年09月02日
大化の改新の名残
新城市富永地区に大化の改新時の名残がある。
大化2年(646)曽我氏から天皇家に政権が移行し豪族などから田地、民全て天皇家のものにして戸籍を作成、田地を貸し与え税(米)労役で納める改革をした。大化の改新という。
富永の案内板、図面がボロボロ配置が分からない
田んぼ、男子6才以上は2段(2反約20アール)、女子は三分の二を貸し与えた。
田んぼ、配分し易いように碁盤の目に6町四方(約654m四方)を1里、1里をタテ、ヨコ6等分して1町としさらに10等分し1反とした(頭が痛くなった、間違いかも)長方形区画にして家族人数に即貸し与えた。班田収受法(はんでんしゅうじゅのほう)という。
1辺を里と条としたことから田んぼの分け方を条里制(じょうりせい)という。
新城市富永の松尾神社近くと豊川市一宮町のわくぐり神社前の田んぼにこの形が残っています。
税は1反にⅠ斗1升か10日間都で労働かその他産物で納める。それに国司の下で60日の勤労、、兵役3年があったと言い大変、夜逃げした者もいた。
土地調査は太閤検地が有名ですが徳川時代になると国ごとに村数米の取れ高(石)を検地帳で厳格に管理された。
富永の細長い田んぼ説明板
大化2年(646)曽我氏から天皇家に政権が移行し豪族などから田地、民全て天皇家のものにして戸籍を作成、田地を貸し与え税(米)労役で納める改革をした。大化の改新という。
富永の案内板、図面がボロボロ配置が分からない
田んぼ、男子6才以上は2段(2反約20アール)、女子は三分の二を貸し与えた。
田んぼ、配分し易いように碁盤の目に6町四方(約654m四方)を1里、1里をタテ、ヨコ6等分して1町としさらに10等分し1反とした(頭が痛くなった、間違いかも)長方形区画にして家族人数に即貸し与えた。班田収受法(はんでんしゅうじゅのほう)という。
1辺を里と条としたことから田んぼの分け方を条里制(じょうりせい)という。
新城市富永の松尾神社近くと豊川市一宮町のわくぐり神社前の田んぼにこの形が残っています。
税は1反にⅠ斗1升か10日間都で労働かその他産物で納める。それに国司の下で60日の勤労、、兵役3年があったと言い大変、夜逃げした者もいた。
土地調査は太閤検地が有名ですが徳川時代になると国ごとに村数米の取れ高(石)を検地帳で厳格に管理された。
富永の細長い田んぼ説明板
この記事へのコメント
いつも勉強させていただいています。
この記事の内容も初めて知りました。
また見に行ってきたいと思います。
これからも記事を楽しみにしています。
この記事の内容も初めて知りました。
また見に行ってきたいと思います。
これからも記事を楽しみにしています。
Posted by ナツ at 2014年09月03日 06:05
ナツ さん
有難うございます。
素人が書いていますので間違いが有りましたらコメント願います。
長篠戦いNO104が消えちゃいました・・・
有難うございます。
素人が書いていますので間違いが有りましたらコメント願います。
長篠戦いNO104が消えちゃいました・・・
Posted by エル at 2014年09月03日 09:49