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2015年05月30日

長篠設楽原の戦い・見聞録 117

 天正3年5月21日連吾川を挟み対峙した設楽原の戦いにおいて織田徳川連合軍は「鉄砲千挺」か「鉄砲三千挺」を使用したかの「筆跡」調査を岐阜工業高校の報道・放送部が調査したと中日新聞夕刊に載っていた。
長篠設楽原の戦い・見聞録 117
 三の文字を「信長公記」の中に270文字あった、太田自筆に似ているものは42個、似てない文字は228個だったと記している。

織田信長の家臣・太田牛一が書いた「信長公記」に「三」の文字が後書きのようにあることから本人が追加記したか、誰かが書いたか、が問題になっている。
長篠設楽原の戦い・見聞録 117

 長篠設楽原の戦い・見聞録 66 にも記載しましたが「火縄銃三千挺の三段撃ち」はあったか否か、歴史学者がいろいろ書いている。
2014/05/30
長篠設楽原の戦い・見聞録 66
 屏風図の合戦ー16 この長篠設楽原の戦いで織田徳川連合軍が火縄銃を何丁用意していたか?三千丁の銃の三段撃ちがあったのか?と多くの歴史研究者が資料を集めて各自の見解を書いています。 まず、問題の火縄銃の数、一千丁か三千丁かのきっかけは信長の家臣、太田牛一が書いた「信長公記・しんちょうこうき」…











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Posted by エル at 21:59
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