2016年06月25日
井伊家ゆかりの地 信濃大河原・香坂氏
香坂高宗の墓(村指定文化財)
室町時代後期、南北朝時代の大河原城主であり、南朝宗良親王を迎え忠節をつくした。
福徳寺に案内板があり細い道を上るがそれらしき墓はない、近くの民家で伺うともう少し上がった所と聞く。見渡せる丘に香坂高宗の墓はあった。


墓に近い民家の方に「祀りは何方がされています?」と伺うと「今は地区で祀っている」との事。

香坂高宗系図は定かでない、応永14年(1407)大河原城で没した。
大正4年、大正天皇即位大典の日、高宗に特旨(とくし、特別なおぼしめし)があり、従四位(官位)が贈られている。(それは何処にあるか?)
香坂氏の大河原城址は「あそこ」と教えていただく。
墓前から大河原城址を見る

下りて民家脇を城址へ向かう

畑にリンゴが生っている

大河原城址


城址南は小渋川上で絶壁である。北、西に空堀があっただろう。
興国4年(1343)の冬、宗良親王を迎え守護した。

大河原城址前から香坂高宗の墓がある丘を見る

諸説があるが親王は元中6年(1389)大河原にて79歳の生涯をおえる。
井伊谷説は元中2年8月10日74歳で死去した、という。
室町時代後期、南北朝時代の大河原城主であり、南朝宗良親王を迎え忠節をつくした。
福徳寺に案内板があり細い道を上るがそれらしき墓はない、近くの民家で伺うともう少し上がった所と聞く。見渡せる丘に香坂高宗の墓はあった。
墓に近い民家の方に「祀りは何方がされています?」と伺うと「今は地区で祀っている」との事。
香坂高宗系図は定かでない、応永14年(1407)大河原城で没した。
大正4年、大正天皇即位大典の日、高宗に特旨(とくし、特別なおぼしめし)があり、従四位(官位)が贈られている。(それは何処にあるか?)
香坂氏の大河原城址は「あそこ」と教えていただく。
墓前から大河原城址を見る
下りて民家脇を城址へ向かう
畑にリンゴが生っている
大河原城址
城址南は小渋川上で絶壁である。北、西に空堀があっただろう。
興国4年(1343)の冬、宗良親王を迎え守護した。
大河原城址前から香坂高宗の墓がある丘を見る
諸説があるが親王は元中6年(1389)大河原にて79歳の生涯をおえる。
井伊谷説は元中2年8月10日74歳で死去した、という。