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歴史 伝説 その他

2022年01月14日

湯呑と茶碗の破片から 3⃣

 地元ではこの事件は一切語っては罷り成らぬ、の御達しに村人は語らずに来た。
<今の愛郷地区、旧恩原村豆栃 白丸は七郎右衛門の屋敷があった跡と云われている所
湯呑と茶碗の破片から 3⃣

 村で伝承されている話は
 ある年の春、豆栃(字地名)の七郎右衛門の馬が合地にあった城所四郎左衛門(庄屋だったようです)の麦畑へ入り麦を食い荒らした。七郎右衛門はビックリし再三再四謝ったが四郎左衛門は聞き入れず、仲裁をすり者もいなかった。世を儚み死を決意し馬、人17人殺害し軒下へ埋め、スドチ「腹切り畑」で腹を切り自殺したという。
 熊谷さんはこの2つの理由で七郎右衛門はが命を掛けたとは思えない、真の原因はもっと深い物である気がする。本当は昔からの山川家、城所家の長い勢力争いでは、と推察しています。
両家の系図を見ると共に田峯菅沼家の家老職をしていた家柄です。雨堤城で同席した時代の意見の相違があって2代3代後に、この事件に繋がったと考えれますね。
 長篠の戦で負け戦になりその後、菅沼宗家は断絶します。徳川家は関東に移封し辛うじ、菅沼家系の菅沼定利は徳川家に仕えていたため、上州古井2万石にて移行した。敗者側の菅沼家系一族家臣は帰農した、そして恩原村に住んだ、と言う事でしょうか。庄屋の四郎左衛門家は事件による被害はなかったようです。
腹切り畑はどのような所か?行って見たい、沢伝いに登れば有るようですが・・・

 4⃣へ続き ます。


14日(金) 0.6℃ー  


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Posted by エル at 18:18
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