QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 38人
プロフィール
エル
エル
生まれ育った地域のこと、訪ねて聴いて写真に撮って・・・
歴史 伝説 その他

2013年04月20日

東日本大震災・3.11 その後

 被災地を訪ねてー4

 朝、8時40分発 国道6号線を北へ走る
 北茨城市の大津漁港による
 今は何もなかったような風景だ
東日本大震災・3.11 その後
 陸地側は津波で家屋は全壊した
東日本大震災・3.11 その後
 家が建ちだしたがカメラの後約100mまで津波が上がってきた。

 岡倉天心の「六角堂」も流されたと聞いていたのでよる
 天心の住居、津波が床下まできたが助かった
東日本大震災・3.11 その後
 元は右側にも建物はあったという
 この絶壁を津波があがってきた、上に屋根が見えます
東日本大震災・3.11 その後
 ボランテアの説明付 彼は近くの方でこの海でウニを獲ったりして遊んだと話していました
東日本大震災・3.11 その後
 流失前の六角堂の写真を写す
東日本大震災・3.11 その後
 再建された六角堂
東日本大震災・3.11 その後
 堂内、ガラスは特殊英国に特注とか
東日本大震災・3.11 その後
 茶室です 囲炉裏・床の間が付いています
 よせては返す波を観て何を想ったのでしょうか
 海底を捜索し瓦・宝殊(屋根の頭部)六角水晶などを回収した、再建瓦は三州瓦だそうです
 水晶は宝殊内に納めてあったようです
 天心死後、横山大観が書いた「亜細亜ハ一な里」アジアは一つなり、日本が東南アジアに進出、合わせて書いた
東日本大震災・3.11 その後
 海岸に降り写す 右上に六角堂が見える 
東日本大震災・3.11 その後
 後に横山大観の屋敷があった所が観える、大観がここに住むよう勧めた
東日本大震災・3.11 その後
 近くに分骨墓地がある
東日本大震災・3.11 その後
 また、「黄門さんの井戸」もあります
東日本大震災・3.11 その後
東日本大震災・3.11 その後

 長くなりそう、つづきは明日。





同じカテゴリー(東日本大震災・その後)の記事画像
あれから13年 2想定外?
あれから13年、東日本大震災 
防災訓練に参加したんです
10キロ圏内に・・
20キロ圏内に入りました
被災地 平薄磯地区は
同じカテゴリー(東日本大震災・その後)の記事
 あれから13年 2想定外? (2024-03-11 11:05)
 あれから13年、東日本大震災  (2024-03-10 15:39)
 防災訓練に参加したんです (2016-08-28 16:46)
 10キロ圏内に・・ (2013-04-24 14:33)
 20キロ圏内に入りました (2013-04-23 21:35)
 被災地 平薄磯地区は (2013-04-22 15:30)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。