2016年03月18日
先祖も合戦・小豆坂の戦い
ご先祖様が参戦したという「小豆坂の戦い」の古戦場を尋ねてみた。
天文11年(1542)8月10日、三河国額田郡小豆坂で織田信秀(信長の父)が三河に侵攻してきたため、三河の松平広忠(家康の父)は今川氏に応援要請した。織田軍と松平・今川連合軍が小豆坂で激突したのである。
県道26号線、岡崎市羽根町字小豆坂があり、また美合町にも字小豆坂があることから広範囲が小豆坂ということがわかる。一帯が段丘になって今は住宅商店などが混在しているが合戦当時はキツネタヌキが遊び回る樹林茂り坂道があったのでしょう。
史跡碑があると聞いていたのだか街並みで何処にあるのか分からなかったが不吹町北交差点近くにあった。
遺構碑を集積したようです、戦い後、武具の血を洗った所にあった「血洗池」石碑もある
血洗池はどこにあったのだろうか、地図が欲しいですね
槍立松の碑 小豆坂7本槍 織田軍劣勢の時に織田軍信秀弟らか奮闘して連合軍を岡崎城へ退却させたという。一時休んだ時に槍を立て掛けた松のことをいうようですが何処にどのような松だったか知りたいところです。
案内板の図
26号線に面してある
小豆坂の戦いは2度あったそうです、1回目は織田軍、2回目は1548年、連合軍が勝利した、とあります。
桶狭間で今川義元が織田に討たれるまで織田対松平・今川の睨み合いはつづいた。
小豆坂戦い碑
天文11年(1542)8月10日、三河国額田郡小豆坂で織田信秀(信長の父)が三河に侵攻してきたため、三河の松平広忠(家康の父)は今川氏に応援要請した。織田軍と松平・今川連合軍が小豆坂で激突したのである。
県道26号線、岡崎市羽根町字小豆坂があり、また美合町にも字小豆坂があることから広範囲が小豆坂ということがわかる。一帯が段丘になって今は住宅商店などが混在しているが合戦当時はキツネタヌキが遊び回る樹林茂り坂道があったのでしょう。
史跡碑があると聞いていたのだか街並みで何処にあるのか分からなかったが不吹町北交差点近くにあった。
遺構碑を集積したようです、戦い後、武具の血を洗った所にあった「血洗池」石碑もある
血洗池はどこにあったのだろうか、地図が欲しいですね
槍立松の碑 小豆坂7本槍 織田軍劣勢の時に織田軍信秀弟らか奮闘して連合軍を岡崎城へ退却させたという。一時休んだ時に槍を立て掛けた松のことをいうようですが何処にどのような松だったか知りたいところです。
案内板の図
26号線に面してある
小豆坂の戦いは2度あったそうです、1回目は織田軍、2回目は1548年、連合軍が勝利した、とあります。
桶狭間で今川義元が織田に討たれるまで織田対松平・今川の睨み合いはつづいた。
小豆坂戦い碑