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生まれ育った地域のこと、訪ねて聴いて写真に撮って・・・
歴史 伝説 その他

2017年02月08日

井伊家ゆかりの地ー17 信州の亀之丞と松岡氏

 信州市田郷(長野県高森町)松源寺へ身を隠した亀之丞は当地の松岡右衛門太夫貞利の保護を受け文武の教育を受けたと云う。龍潭寺開山・黙宗瑞淵禅師は松源寺で修業していた。また、松源寺開山・文叔瑞郁禅師は開山時の松岡城主・松岡貞正の弟であったことから寺と松岡氏は深い繋がりあり、龍潭寺南渓和尚もその事を知って亀之丞を預けたと思われる。井伊家と龍潭寺、松源寺と松岡氏との縁、繋がりが後に重要な事になる。
松源寺 松岡城の廃城後江戸時代「五の曲輪」に再建された

 山門 享和3年(1803)再建 

 天正10年(1582)織田軍兵火により焼失。
 この本堂は明治33年(1900)建て替えられたもの
 伊那の松岡氏は奥州阿部氏の末裔と伝えられ源氏に敗れた康平(こうへい)5年(1062)阿部貞任(あべのさだとう)の二男・仙千代が乳母と逃れ伊那谷に住みやがて地頭になり松岡貞則と名乗り祖と云う。
 亀之丞の青葉の笛(模造品)

信州に残した長男に授けた短刀

 戦国時代は侵攻してきた武田氏に従うが、この時亀之丞は井伊谷へ帰郷した。
 信州では篠笛を好み奏でていたようだ。代官・塩沢氏の娘お千代との間に一女一男を儲け長女・高瀬を連れ帰る。後に家臣へ嫁がせる。
 松岡城跡

 松岡城縄張り

 武田の信州侵攻に急遽、亀之丞を井伊谷の帰郷させた。松岡氏は武田氏に従うが長篠戦いで惨敗した後、織田、徳川に従う。織田信長が本能寺で死すると信州の武将はどちらに付くか動揺する。天正10年徳川軍が侵攻すると松岡氏は誓詞を徳川に出す。豊臣秀吉軍の小笠原氏が高遠城の保科氏を攻める。保科氏から松岡氏へ援軍要請があり軍を途中まで進めるが保科氏敗退を知り引き返す。この事が問題になり松岡氏の命が危なくなる。 

 つづく



 2.5℃   12℃  晴れ 時々風強し  


Posted by エル at 23:25
Comments(0)観光歴史伝説

2017年02月08日

ワンルームを探して  ヤマガラ(山雀)さんが来ました

 庭の巣箱です。
 今度はヤマガラさんが部屋探しに飛来


 前回のシジュウガラさんと

 競合しそうですね

 シジュウカラさんはヤマガラさんより警戒しますからヤマガラさんが契約しそうですね

 その前に環境が気に入るかどうかですね。