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歴史 伝説 その他

2017年02月12日

長篠設楽原の戦い 鈴木金七郎重政が百姓になった訳

長篠城の戦い(1575)で城から鳥居強右衛門と脱出した鈴木金七郎重政は作手・大田代で百姓になった。
 新城市郷土研究会の月例会
 「鈴木金七郎の再評価活動」

金七郎の生家(新城市富永川上)に伝承話には何代後に子孫が訪れ「金七郎は川上に戻りたい」と言っていた事から生家の近くに祠を建て祀った。また、家族は妻、長男、娘2人だったが「我が子を戦場に立たせたくない、娘2人を在所に残したいから宜しく頼む」と長男を連れ田代に住み百姓になったと云う。
 長篠戦いの2年後、生家近くの「白山社正月祭礼宮座の覚え」に

 田代村 氏子
 金七郎の名がある。

子を戦場に送りたくない、親心は今も変わらない。
 
 平和な日々を望んでのことでしょう。


  


Posted by エル at 12:00
Comments(0)観光歴史伝説