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歴史 伝説 その他

2016年12月04日

長篠城の発掘遺構

天正3年長篠・設楽原の戦い後廃城になった城址の正確な遺構、図面も分からないという。発掘調査は1999~2005年、2007~2011年行なわれた。先日、新城市設楽原歴史資料館20周年記念講演で岩山さんのお話しがあった。 
 赤線内 指定区域

 左下に豊川、右に宇連川 扇状の絶壁上に城址はある
 何回か改修されているようです
 上から掘①深さ3m幅9m 堀②深さ2.5m幅4m  

 堀③深さ4m幅10.5m 堀④
 土塁①土塁②土塁③土塁④とあった,主郭(今の広場)を囲むように土塁③があり、しかし豊川面にはない、その内側に堀状遺構①②が北にある

 今ある内堀 幅10~15m深さ6m
 主郭に入る橋は土橋(資料館前)
 飯田線東に貯水遺構がみられる

 驚いたのは今の主郭(広場)の中央に堀状遺構があり東西に分かれている、但し改修が数回あるから最後の戦い時はどの様であったか?
 以外に小規模な本城であった、籠城時兵は多くは入れない気がします。

 この規模ではここを廃城にして新城建築移転は当然考えるでしょう。

 このような小城郭で武田軍の猛攻に耐えたことは凄いことです。


 写真は講演から
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Posted by エル at 12:32
Comments(0)観光歴史伝説