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歴史 伝説 その他

2016年12月15日

井伊家ゆかりの地 女城主直虎は男だった!? 

 今日の中日新聞のP34に「女城主直虎男だった!?」という記事があります。

 これは井伊美術館(京都市)が発表したもので資料は井伊家彦根藩家老(寛永17年)であった木俣守安がおばたちから聞き書いたものを江戸中期に子孫の木俣守貞が書き写した。この資料には「直虎」と書いたものはなかったという。
 では直虎はだれか、今川家臣・新野親矩(ちかのり)の甥(おい)で関口氏軽の子を井伊谷の領主・井伊次郎として治めさせた、と書かれているという。
 地元蜂前神社の古文書に「関口と連名で次郎直虎の名前と花押があることから、関口の息子である井伊次郎が直虎」と考えられるという。  直虎花押は当ブログ、8月2日記載しています。
 案内板の説明写真から

 直虎花押
 祝田郷の徳政令の事が書かれている
 拡大すると
 永禄十一辰 
 関口 氏経 花押
 十一月九日
 次郎
 直虎 花押
 
 直虎の右に関口氏軽 

 次郎法師と井伊次郎は別人で2人いたことは間違いないだろう。
 親子の連署と云うことになるが・・・ 
 
 なぜ許婚と云われる直虎を妻にしなかったか
 亀之丞(直親)が信州松源寺から帰郷し時、井伊家後継者であるから許婚の「直虎」が出家していても妻にする事はできた。
 信州に妻子・長男を残して長女を連れて来たいたから?許婚とは結婚できなかった。
 何が起こるか解らない乱世ですから後継者は多いに超したことはない、信州に長男を預けた。
 井伊谷親族に気を使い奥山家から嫁をとった。
 直虎は男だった。
 
 推測すればいろいろ出てきます。
 歴史は憶測、推理が伴ないロマンがあります。

 来年のNHK大河ドラマ放送に「井伊家ゆかりの地」は高揚しています。
   




  


Posted by エル at 23:14
Comments(0)歴史伝説