2017年01月13日
井伊直虎ゆかりの地-5 亀之丞から直親へ
弘治元(1555年)亀之丞は20歳になり井伊谷に帰郷すると井伊谷に住むのではなく祝田(ほうだ)郷に住んだと云われている。名を改め「直親・なおちか」と名乗り奥山郷の奥山因幡守朝利の娘を娶(めと)り井伊家23代当主となった祝田に居館を建てたという。
屋敷跡はあるか、伺うと「細江町中川に祝田善明寺付近と云われ土地法典に小字に上屋敷が現存するという。
善明寺

寺案内板には、厄除観音で知られている臨済宗方広寺派、寺伝によると1200年まえ、行基菩薩により始まった後、廃寺になったが約500年前黙巌禅師が中興し禅寺になったという。明治初年、北に光西寺、西に恵雲庵があったか廃仏稀釈によって廃寺になった。その後善明寺だけ再興し今日になっている、とあります。直親の事は書いてありませんが近くであれば何か関係があったでしょう。
都田川にかかる瀬戸橋から右岸を写す

直親の墓も寺近くにあったが現地に移転した
かって、洪水によって氾濫し堤防等改修、工場が進出し昔の面影はないという

田畑から工場地帯になっている
位置図
赤丸=直親墓 黒丸=今の善明寺

宝林寺や蜂前神社も近い
国道257号線に近く直親の墓には行きやすい。
つづく
浜松市北区細江町中川
屋敷跡はあるか、伺うと「細江町中川に祝田善明寺付近と云われ土地法典に小字に上屋敷が現存するという。
善明寺
寺案内板には、厄除観音で知られている臨済宗方広寺派、寺伝によると1200年まえ、行基菩薩により始まった後、廃寺になったが約500年前黙巌禅師が中興し禅寺になったという。明治初年、北に光西寺、西に恵雲庵があったか廃仏稀釈によって廃寺になった。その後善明寺だけ再興し今日になっている、とあります。直親の事は書いてありませんが近くであれば何か関係があったでしょう。
都田川にかかる瀬戸橋から右岸を写す
直親の墓も寺近くにあったが現地に移転した
かって、洪水によって氾濫し堤防等改修、工場が進出し昔の面影はないという
田畑から工場地帯になっている
位置図
赤丸=直親墓 黒丸=今の善明寺
宝林寺や蜂前神社も近い
国道257号線に近く直親の墓には行きやすい。
つづく
浜松市北区細江町中川