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歴史 伝説 その他

2017年01月28日

井伊直虎ゆかりの地-11 掛川城に手掛りは

 井伊家の手掛りはないかと掛川城によって見る。


 元の掛川城は現城の東500mに明応6(1497)年、今川氏が重臣朝比奈泰凞(やすひろ)に築城させた。手狭になり永正9(1512)年~10年今の地に築く。


 永禄3(1560)年桶狭間で今川義元が織田信長に討たれた。義元の子、氏真(うじざね)は武田氏に追われ掛川城に立て籠もったが翌年徳川家康に攻められ和睦し北條氏に保護された。徳川氏の重臣石川家成が入城した。天正18(1590)年、豊臣秀吉が全国統一すると徳川家を関東へ移動させ山内一豊が入城して城の拡張、天守閣を築く。
天守閣から見た十九首塚


その後、松平定勝、太田氏など譜大名が入城する。嘉永7(安政元年1854)年大地震で天守閣、御殿隅櫓などが倒壊した。御殿だけは安政2(1855)年~文久元(1861)年に再建された。
 二の丸御殿

 御殿玄関 


 今の天守閣は平成6(1994)年木造天守閣として再建されたものである。
 正保城図 1644年 幕府に提出した図面


 井伊家一族からは井伊直好が万治2(1659)年入城し直武・直朝・直矩(なおのり)と4代約47年間在城した。
 城内案内人の方に「十九首塚」と井伊直親の殺害地について伺うが解らないようでした。井伊家の在城4代城主も直親公を祭ったりしなかったのだろうか? 祀れば石柱に刻まれた物が残っていると想うが・・・  


 つづく

 4℃ → 17℃ 快晴  


Posted by エル at 21:00
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